ハルキさん(20代男性、大学生)
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この例にみられるように、親の希望を叶えることで親の愛情や関心を繋ぎ止めることを余儀なくされる子供は、同時にきわめて孤独な存在とも言えます。自分の本当の気持ちを伝える相手のいない生活は、心の中に別の存在が創り出されるきっかけともなるのです。子供が孤独を癒すときに、ペットや縫いぐるみと会話をすることはよくあります。しかしその多くは一種のごっこ遊びの域を出ません。ところがそこに子供の解離傾向の強さが加わると、それらの話し相手は自律性を持った人格となっていくのです。
2-4.子どもの自我境界の曖昧さ
解離性障害の発症の背景として、患者さんがもつ自我境界の脆弱さがあります。自我境界とは分かりやすく言えば、自分の感情や考えと、他人のそれを区別する力や機能を意味します。自我境界は、それが普通の養育を受けて健全に育つ場合には、自分でそれを意識することなく、自然に備わるのですが、その養育の中でもきわめて大切なのが、親と子供の間の感情のやり取り、交流であり、愛着関係です。
子どもの情緒発達においては、乳幼時期からの未分化な感情の表出をその都度親が受け止め、それにふさわしい態度と言葉により応答することによる交流が欠かせません。親の反応が子どもの体験に寄り添ったものであれば、子どもは自らの情緒の意味を理解し、それらを表現する喜びと安心を得ます。例えば喜びの感情は親の喜びの表情を生み、それを送り返してもらうことでそれと自覚されます。また子供の怒りの感情は親による懲罰や過度の不安を誘発することなく受け止められることで、それとして認識され、同時に親の感情と自分の感情との違いへの気づきを促すでしょう。こうして子どもは徐々に自分と親との違いを認識していきます。これが通常の自我境界の形成のプロセスと言えます。
ところが解離を持つ患者さんの親子関係には、具体的なトラウマが生じる以前に、情緒交流の障害が潜在していることが多いものです。患者さんが表現する情緒と親から返ってくる情緒に行き違いが生じたり、ある情緒の表出についてはことさら無視されたり、親の怒りを誘発したりするでしょう。その過程で患者さんは親から一方的に感情を押し付けられる一方では、自分自身の感情を持つことを禁止される可能性があります。そしてその後も目の前の相手が強い情動を向けてきた時に圧倒され、自身の感情を見失いやすくなります。こうして自他の感情の差異を認識できなくなり、相手の感情を自分自身のそれと思い込むようになるのです。これが自我境界の形成不全や破綻です。
このような自我境界の不全や脆弱さゆえに、患者さんはそもそもトラウマ的事態による心理破綻を起こしやすい状態にあったと考えられます。親子の情緒的交流に起因する心理的基盤の脆弱さの上にトラウマを引き起こすような事態が重なることで、解離症状が発生するのではないかと推測されます。