第2点は愛着の問題を重視し、より関係性を重んじた治療を目指すということである。そのような視点は、いわゆる「愛着トラウマ」の概念に込められていると考えていい。愛着関係の中にすでに深刻なトラウマが織り込まれる可能性がある。そしてそれは一生にわたって影響を及ぼす可能性がある。特にCPTSDの場合は、その定義の中に愛着レベルでの問題が生じていることが示唆されているためにこの愛着トラウマが深刻な形で関与している可能性がある。
フロイトは最初は幼少時のトラウマ、特に性的なトラウマに注目した。やがて「誘惑説」の放棄と同時に知ったのは、トラウマの原因は、直接の加害行為の存在があるとは限らないということだった。その点に関しては、フロイトは正しかったといえる。ただしフロイトが道を誤ったのは、そこから子供の有する欲動の問題にのみ注目した点である。彼がなすべきだったのは、彼の最初の視点、つまり幼少時のトラウマの重要性であり、そこで不可避的な形で生じる愛着上のトラウマである。
愛着トラウマの結果として生じるのは、子供が「自分は望まれてこの世に生まれたのではなかった」というメッセージを受けとるということである。ただし問題は母親の意図を超えて子供が感じ取ってしまうかもしれない。これはあからさまな虐待以外の状況でも生じる一種のミスコミュニケーションであり、母子間のミスマッチである可能性がある。そこにはもちろん親の側の加害性だけではなく、子供の側の敏感さや脆弱性も考えに入れなくてはならない状況である。愛着トラウマの概念にはこのような広い意味でのトラウマが幼少時に生じて将来の自己概念や関係性に影響を与えているという視点を提供する。