この論文はかなり過激な、でも私が言いたいことを言ってくれている。彼らは、もともとディメンショナルな問題であるPDを、カテゴリカルに分けているDSMの10のPDは、どだい無理なことをやっているよね、と言っている。まあ、そういえばミもフタもないわけだが。この論文はDSM-5前夜に書かれたものなので、いかにもDSM-5が大きなことをやってくれそうなことを書いている。「10のうち5つしか生き残らないよ」とか。まあ結局廃案になってしまい、ふたを開けたらDSM-IVと何も変わっていなかった、というわけだが。スキゾイドなども真っ先に消えていたはずである。こんなことも言っている。ASDは一応第一軸に記載されているが、事実上第二軸にあるべきものだ、と。そうか、これでDSM-5で突然多軸診断が廃止された事情もつかめたぞ。そもそも発達障害がどうして第二軸に入らないの、という質問に耐えられないからだ。なぜなら発達障害もまた、第二軸の定義である「パターンは安定し、長期にわたって持続し、その始まりは遅くとも思春期や早期成人期にさかのぼることができる。」ましてや幼少時にさかのぼるとしたら、発達障害は第二軸に入らないこと自体が矛盾するのだ。(覚えておられるだろうか?DSM-IVの第二軸には、PDと精神遅滞が入っていたのだ。でも精神遅滞が入って発達障害が入らない根拠は、考えてみれば何もなかったのである。)
ともかくもこの研究では、ASDの基準を満たす54名の早期青年期の人々を対象にして研究した。すると14人がスキゾイドPDを、7名が回避性PDを10名がOCPD (強迫性PD)、1名がスキゾタイパルPDを満たし、ボーダーライン、自己愛、依存性、反社会性、演技性PDを満たした人はいなかったという。まあひとことでいえば、ASDの一番多くが(と言っても四分の一だが)、スキゾイドを満たすということだ。ただしここで知りたいのは、ではスキゾイドのうちどのくらいがASDを満たすか、だがそれはよくわからない。しかし考えてみよう。スキゾイドはそもそもあまり診断されないのだ。他方にはASDはいつの間にかかなり多く診断されている。とするとスキゾイド大部分が実はASDだ、ということになりはしないか。著者はかなり踏み込んで言っている。「そもそもDSMのスキゾイドの診断は、well
compatible with PDD/ASD criteria.つまり両者はかなり一致していると。そしてスキゾイドの診断をつける前にPDD・ASDを除外せよ、と。そしてDSMのテキストではさらに言っている。スキゾイドに比べて、ASDでは社交の問題、ステレオタイプな行動や関心はスキゾイドよりより深刻な形で見られる、と。ところがこの研究では、スキゾイドをも満たした14人は、さらに深刻な自閉症傾向を見せたという。或いはASDを満たした人たちの多くは、スキゾイドを満たした人より社交上、或いはコミュニケーションの問題でそれほどでもない障害を見せていたという。あー、わからない、わからない。書いていてわからない。ただひとついえるのは、それぞれ由来の違った二つの障害(一方はSにまだなっていないが将来なりそうなスキゾイド、もう一方は深刻な自閉症ほどではないものの、その継承として見出されるようになってきたアスペルガー等のASD)がだんだん近づいてきて、見分けが付かなくなってきているということだ。では私の直感はどうか。これはいろいろなところにすでに書いたのだが、人に関心がない、感情を欠いた、スタートレックのミスター・スポックのようなスキゾイドは、実はきわめて稀少ということである。ほとんどの一見スキゾイドの人は、実は物や秩序により大きな関心を持ち、人は複雑でわずらわしいためにあまりかかわりを持とうとしない(でも同時にすごくさびしがり野の)アスペさんが大半なのだ、ということである。