マイクル・バリントについて
彼は一件反抗的、挑戦的な人がいる。それは精神分析のエスタブリッシュメントが、彼を敬遠する傾向にあるからだ。そして彼の理論はある意味ではフロイトに真っ向から挑戦しているところがある。だから挑戦的とみなされるのであろう。たとえば彼はFocal psychotherapy により精神分析をもう少し短期間で終わらせようという試みもまたもう一つ決定的なのは、彼がいわゆる欠損モデルの提唱者であったということである。更には彼が「new beginning の時は、象徴的な行動、たとえば touching, holding a finger などのことを言ったことなどは非常に評判が悪い。そしてこの評判の悪さはもちろんフェレンチに対する評判の悪さ、やばさとも、近い。しかし彼は実は本来攻撃的な人ではなく、むしろ枠にとらわれずに書きたいことを書いたということだろう。だからいろいろな人との橋渡しをしている。それを3人上げたい。
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はもちろんフェレンチ、②はコフート、③は土居健郎そして④はウィニコット、である。
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フェレンチに関して。何しろバリントはフェレンチの名誉回復を試みたといえる。「言葉の論文(1933)」がドイツ語のままになっていたのを、1849年に英語に直して発表したのはバリントであった。そして何より、フェレンチが行った壮大な実験を検証し、私たちに臨床的な知恵を授けてくれたのがバリントだ。このことだけでも大変なことである。彼は、退行した患者さんの望みを聞き続けたらどうなるのか、という、ボーダーラインの患者さんを持ったことのなる臨床家なら一度は必ず持つであろう疑問に対する答えを用意してくれる。これはフェレンチの犯した過ちを後のセラピストが犯さないためにとても重要なことだったのだ。これはいうならば治療者がprimary object になり、basic fault をやり直すことができるかということだ。フェレンチはある患者を選び、望みをすべて聞いてみた。たとえば一日数セッションを持つとか。そして週末も会い、休暇にもついていった。そしてその結果を見ることなく彼はなくなった。その患者は見たところ非常に改善したが、治癒したとは考えられなかったという。そしておそらく失敗したが学んだことも多かったことを認めたという。P157で中居先生は次の様に訳している。
「″大実験″という雰囲気の発達を許した症例で真の治療成功は一例も私はみなかったとだけ述べておきたい。一部の症例の結果は悲惨だった。いちばん良く行ってせいぜいフェレンツィのなしえたことだった。患者は相当改善したが治癒とみるわけにはゆかない程度だった。」