第10章 ボーダーラインパーソナリティ障害を分析的に理解する
初出:医原性という視点からの境界性パーソナリティ障害(こころの科学154号 境界性パーソナリティ障 害 岡崎祐士 (編集), 青木省三 (編集), 白波瀬丈一郎 (編集) 2010年 所収)
はじめに
ボーダーラインパーソナリティ障害(以下、「BPD」と略記する)という概念は、そもそも精神分析の世界で確立された概念である。現代の精神医学において精神分析的な用語は徐々に姿を消しつつあるが、BPDだけはしっかり確率された概念であり、それが揺らぐ気配はない。しかし一般精神医学で扱われるようになり、そこには様々な問題が生じている。その事情を十分に理解するためには、いったん精神分析の土台を離れる必要があるだろう。
本章では特にBPDの「医原性」というテーマについて論じる。これは疾患概念としてのBPDが、医師ないしは治療者により二次的、人工的に作り上げられてしまう可能性があるという事情を指す。ただしここでいう「作り上げられる」には、以下に述べるように実際の病理が作られてしまうという意味と同時に、もともとあった病理がさらに悪化したり、実際はBPDとはいえないものが、そのように誤診ないし誤認されてしまったりするという場合も含むことにする。
BPDの臨床を考える上で、この医原性の問題は現代の精神医学における非常に重要なテーマである。しかしこの問題はまた、BPD という概念が精神分析の枠組みを超えて一般に知られるようになった際に、すでに持ち始めていたネガティブなイメージや、差別的なニュアンスとも関係していた。歴史的には、類似の例として「ヒステリー」の概念があげられるだろう。ヒステリーの歴史ははるかに古く、「本当の病気ではないもの」、「演技」、「詐病」、あるいは「女性特有の障害」として、やや侮蔑的な意味で用いられたという経緯があり、治療者側のそのような偏見が、ヒステリーという診断の下され方に大きく影響していた可能性がある。そして現代においては BPD が同様の役割を背負わされているというニュアンスがあるのだ(Herman,1990)。
Herman, J.L. (1990) : Trauma and Recovery. Basic
Books. New York. 中井久夫訳(以下省略)