2018年5月4日金曜日

精神分析新時代 推敲 69

最近の脳科学の進歩は目覚しいものがあるが、何と言っても1980年代以降、脳の活動が可視化されるようになったということが大きい。機能的MRIPETなどの機器のおかげである。とにかく患者さんの心にリアルタイムに進行していることが脳のレベルでわかるようになってきている。最近、ディープラーニングがまたまた注目を浴びるようになってきている。なにしろコンピューターで絶対に人間を追い越すことはないと思われていた囲碁の世界で、AlphaGoというプログラムが世界のトッププロに勝ってしまった。それを通して、ではディープラーニングというのは一体なんなんだろうということが我々の関心を引くようになったわけである。ディープラーニングをするAlphaGoは、囲碁のルールは教わっていない。囲碁の何たるか、これが囲碁だ、ということを理解する、いわばフレーム問題をバイパスしているわけだ。ただこう打たれたらこう打つ、こういう手に関してはこれがベターだという情報を星の数ほどインプットしている。そうすると囲碁の正しい手が打てるようになる。そこに教科書的な意味での学習はない。
実はこの学習方法は、人間のそれと同じであると言ってよい。人間も実は学校以外では学習はしていない。なぜなら赤ちゃんは学校に通うはるか以前にたくさんの情報からこういうアウトプットがあり得るということを一つ一つ学んでいくわけだからである。すなわち我々の脳はディープラーニングをするものなんだというふうに考えるとわかりやすい。そしてそのような心の在り方は、フロイト流の考えとはかなり異なることが分かってきている。
 ここで歴史的なことにも少しだけ触れよう。200年前は脳の中というのは、亡くなった方を解剖して見るということでしかわからなかった。ポール・ブローカというフランスの医者が、失語症の人の死後脳を集めて剖検した結果、前頭葉の後ろのほうに欠損があった。そこでその部位をブローカ野と名付けることとなった。ここが梗塞、あるいは事故などで破壊された時に失語が起きる。だからここに運動性の言語中枢が局在しているんだということがやっとわかったのである。実は1800年までこういうことすらわからなかったのだ。そして過去200年、特に過去数十年でなんと多くの知見を我々は得たのかということだ。
 本書の読者の中には、「気脳写」という言葉をご存じの方はおそらく非常に少ないと思うが、私が精神科医になった1982年に、精神科のテキストを見ると、気脳写像というのが掲載されていた。脊髄から空気を入れると脳脊髄液の中を上がって行き、側脳室に空気が入っていき、それがレントゲンに映る。この一部が押しつぶされたり形がゆがんでいたりしたらそこに何かの病変があるのだろう、ということがぼんやり分かるというわけである。その技術がいつまで用いられていたかはわからないが、私が精神科医になった1982年にはまだ精神科の教科書にそれが載ってた。それほどまでに苦労して脳を可視化しようとしたわけである。