2018年4月4日水曜日

解離の本 16


4-2.交代人格の取り扱い

交代人格には様々な類型があることが知られています(Putnam,1989。交代人格について語ることは、そもそもDID全体について語ることにもつながります。交代人格にどのように出会い、いかに応対していくかは、そもそもDIDをいかに治療するか、ということでもあるのです。そこで本書ではいろいろな場面で様々な交代人格について触れていきます。
交代人格の中でも特に注意が必要なのが、攻撃性の高い人格です。DIDの主人格の一般的な特徴としては、自己主張が控えめで相手に合わせる傾向があるという点については触れました。それに比べて攻撃的な人格は、まるで人が変わったように荒々しくふるまうということが生じます。つまり攻撃的な人格は先に述べた「主人格が発揮できない機能を補うために出現した人格」に近いと考えることができそうです。彼らの攻撃が主人格に向かえば自己破壊的な行為となり、「迫害者人格」や「自傷人格」の特徴を帯びてきます。反対にそれが他者に向けられれば、暴言や暴力など他害的性質をもつ「攻撃者の人格」として際立ってきます。(このような交代人格の詳細については、7章の「黒幕人格について」を参照してください。)
交代人格について論じる際になぜ攻撃的な人格に最初に触れるかと言えば、これらの人格を一方的に批判し排除しようとすれば、治療の中断や事態の悪化を招くことになるからです。攻撃を繰り返す人格への対応には工夫が必要ですが、適切に関わることで有意義な展開につながります。最終的には彼らの攻撃衝動を、より健全な自己主張や能動性に置き換えていくことを目指します。まずは初診の段階で攻撃的な人格はすでに耳を澄ませて治療者の対応を見ている可能性があるとの覚悟のもとに、できれば彼らを味方につけることを目指すことが大切です。
トラウマを抱える患者さんにとって、怒りの情動を適切に表現し、安全な感覚とともに自己の内部に保持することは重要な課題のひとつです。これらの人格にどう向き合うかは、その後の治療の方向性を大きく左右するといってよいでしょう。


[中略]
  
自己や他者に向かう交代人格の攻撃や破壊的行動の背後には、たいてい自分を理解されないという傷つきや悲しみがあります。それはトラウマ体験が適切にケアされなかったための後遺症ともいえるでしょう。二次的に発生した怒りの起源に立ち戻り、攻撃的人格が表現する蓄積したフラストレーションや憤りを主人格が自覚し、自ら言葉で語ることができた時、それらの行動は解消していきます。

対人関係のトラウマをもつ患者さんの深層には、強い対人不信があります。それが人格化して治療関係を壊そうとしたり、攻撃的な態度で治療者を挑発したり、試すような言動でこちらを振り回すことがあります。その在り様は境界性パーソナリティ障害(BPD)の行動化との区別がつきにくく、実際にその診断を受けている患者さんもいます。BPDとの鑑別について、岡野(2015)は「解離性障害の患者が発揮するBPD性」という観点を挙げています。解離性障害の病理は本質的にBPDのそれとは異なると考えられるため、両者の特性を別次元で捉えることは病状を多面的に理解する上で有効です。患者さんのBPD性が高まるのは、自己抑制的な人格の陰に隠れていた衝動的な人格が活発になることで起こります。治療を通して彼らが落ち着きを取り戻すことによりBPD的な行動化が収まっていく場合もありますが、衝動性や攻撃性が前景に現れ、BPD的な特性が表立って悪化する場合もあります。長い治療経過を通して最終的にどう変化していくかは、最後まで予測できないところがあります。

3. 交代人格は「抑圧された心」とは異なる

交代人格の行動には患者さんの内部に起きている問題を知る手がかりが含まれており、それについて本人と話し合うことは重要です。ただしDIDにおいては、交代人格の抱く様々な情緒はあくまでその人格の中にあるもので、必ずしも患者さん本人の無意識の表れとは考えないほうがよいでしょう。この点を理解することはとても大事ですが、同時に難しいことでもあります。多くの治療者や援助者がこの点を十分に理解できないために、DIDの患者さんに対して「自分はこの人にはわかってもらえていない」という感情を持つことになります。
私たちは心は一つ、と考えがちです。そしてある意味ではその通りです。私は私であり、昨日の私も、明日の私も、一時間前の私も、一時間あとの私も同じ私です。心は一つであり、DIDの患者さんの心をひとつのまとまりと考えれば、交代人格の情緒はあくまで主人格の意識下に抑圧されたものとみることもできます。しかし多くの場合DIDの交代人格は主人格のコントロールできない領域にあることを忘れてはなりません。
少し矛盾するかもしれませんが、心が一つ、という感覚はそれぞれの交代人格一人一人については当てはまる、と言えそうです。交代人格Aさんは自分は一人の自分と考えるのと同じに、交代人格Bさんも、自分は唯一の自分と感じているはずです。自分が唯一、心も一つであるからこそ、AさんはBさんとも異なる独自の存在という確信を持てます。すると、Aさんがしばらく外に出ていて、それからBさんが出てきてその間はAさんは眠っていて(あるいは後ろから観察していて)、また再びBさんに代わってAさんが出てくる、という一連の流れを考えた場合、Aさんにとっての体験は、「私は一つの心であり、先ほどBさんが出ている時は、その間は寝ていた(あるいは後ろで観察していた)」という体験になります。これは事実上「心は一つ」という体験と同じです。その意味ではDIDの状態は「心が一つとは感じていない状態」というよりは「心は一つと感じている人格が複数存在する状態」と表現することが、より正確ということになります。