2018年3月3日土曜日

精神分析新時代 推敲 30

第4章  転移解釈は特権的なのか?
はじめに
 新時代の精神分析理論について論じる本書の第4章目に、このテーマを選ぶ。転移解釈の意味を問い直すということだ。前章に引き続き、私は「それでも解釈という概念を残し、それを治療手段の主たるものとして捉えるのであれば ……」、という立場に立っている。そして解釈が精神分析にとっての基本であるとしたら、転移の解釈は本家本元として扱われている。様々な解釈的な技法の中で、ひときわ高くその治療効果が期待されてきているのがこの転移解釈である。本章では改めてその意義について問い直したい。
 まず述べたいのは、私自身は転移の問題について、かねてからかなり深い思い入れを持っているということである。少しうがった表現をするならば、私は「転移という問題に対する強い転移感情を持っている」と言えるだろう。そしてフロイトが精神分析の理論を構築する過程で転移の概念を論じたことが、それ以後の精神分析理論において、これが治療的な意義として一歩抜きん出た位置づけを与えられたのは確かなことであると思う。
 ただし私は転移の解釈が他の介入に比べて、抜きん出た特権的な価値を有すると考えているわけではない。私自身は米国でトレーニングを受けたという事もあり、はじめは自我心理学に大きな影響を受けていた。そこでは転移の解釈はとても重要視されていた。しかしトレーニングを続けているうちに、見え方はだいぶ変わっていった。後になっていわゆる「関係精神分析 relational psychoanalysis」の枠組みから転移の問題を捉える際には、治療的な介入としては転移解釈を特権的なものとは考えない(あるいは解釈そのものが従来精神分析とは異なる意味を与えられている)事を知り、私自身の考え方と一致することを確認したのである。ただしここで急いで断っておかなくてはならないのは、私自身も、関係精神分析の立場も、これまで転移として扱われてきた現象を重んじていないというわけではないということである。それどころか転移という概念で表される患者から治療者への心の向かい方はきわめて重要な、分析的療法における核心部分を占めているという点は間違いないと考える。ただし転移は大きな意味を持つことを認識する(私、そして関係精神分析)ということ、とそれを解釈する(治療者のその理解を患者に伝える、という従来の精神分析の立場)ということは違うのだ。つまり関係精神分析では、転移が臨床的にあまり意味を成さないから無視するという立場とは異なり、むしろいかに転移がパワフルなものなのか、いかにそれが治療的に用いられ、いかなるときにそれが破壊的なパワーを持ってしまうのかについて判断する治療者の柔軟性が要求されるという点で、ことである。それこそ「転移を解釈すればいい」というわけでは決してなく、それを場合によっては見ないことにしたり、あえて扱わなかったりすることも必要になる。それに治療においては、転移以外の重要な要素もたくさん含まれ、それぞれがそれを扱われることの意義を有しているのである。