ところでクライニアンである、ということはある意味ではフロイディアンというわけですから、欲動二元論から出発しています。つまり性的本能と破壊本能の二元論です。そしてあるタイプの精神病の患者は,性愛的な対象関係と破壊的な対象関係が混同しているとし、これをRosenfeld は「困惑状態 confusional states」と呼び、羨望に対する防衛であるとしました。そして議論を徐々に精神病から重症の人格障害へとシフトさせていきます。そして1960年代からは彼は非精神病的な病理的パーソナリティを持つ「破壊的自己愛」の研究を行ったのですが、これは広義のBPDに該当し、彼の研究は英国における境界例研究の代表的なものであるとされるようになったわけです。彼が挙げている症例では,衝動的パーソナリティ障害,情的不安定性パーソナリティ障害,スキゾイド・パーソナリティ障害,自己愛パーソナリティ障害に該当する重症例が多いとされます。特に治療が成功しそうになったり治療者との情緒的接触や理解された体験を持ったりすると急に自殺企図,反社会的行為,症状の悪化,激しい攻撃性の発露などの陰性治療反応を強く呈する患者群です。こうしてRosenfeld の議論は、精神病というよりはパーソナリティ障害の議論に移っていったのですが、実際の病名に関しては表現は曖昧という気がします。Rosenfeld の論文に常に出てくる、「ボーダーラインと精神病的な状態 borderline and psychotic state」 という表現がまた悩ましいわけです。ボーダーラインと精神病と、両者を一緒にしているというニュアンスがあるのですが、実際には両者の病態はまったく異なるわけであり、その意味では彼がどのような患者を対象にしていたかについては結局不明であるという印象を受けてしまうのです。ちなみにここら辺の経緯については、以下の論文が多少触れています。
Herbert
Rosenfeld (1971). A Clinical Approach to the Psychoanalytic Theory of the Life
and Death Instincts: An Investigation Into the Aggressive Aspects of
Narcissism. International Journal of Psycho-Analysis, 52:169-178.
Rosenfeld の理論をもう少し掘り下げてみましょう。彼は心の一部に破壊的な理想化された自己の部分が存在し,他の性愛的な対象を求め依存しようとする自己の部分を支配している内的対象関係について論じます。そして前者を「破壊的自己愛組織」と呼んだのです。さてここからが重要で、また Rosenfeld の理論で一番わかりにくいところです。彼はこの部分はしばしば理想化され、また偽装され、スプリットオフされて沈黙していると説明しています。そしてこれは、子供が小さく何もできない無力な存在であることから生まれる全能的なファンタジーであるとも言っています。そしてその場合、親の側の「甘やかしすぎ、特に親の抱えコンテインする環境の欠如」が問題となると言っています。(P71) これを読むとびっくりしませんか? 結局 Rosenfeld も環境因をいっていたのか、ということにもなります。
しかしそれでも Rosenfeld は結局はトラウマ理論には至りませんでした。結局子供は無意識的な罪悪感を背負った存在となる、と記していますが、これは内的欲動論のお決まりの説明です。そしてそのことの説明が、私にとってはもっとも不可解な部分なのです(P87,88)。 あえてここで書いておきましょう。Rosenfeld によれば「この誇大的な構造の下に隠れているのは、原初的な超自我であり、それは患者の能力や観察や、現実の対象を受け入れるニーズについて、馬鹿にして攻撃する。最も混乱するのは、この羨望に満ちた破壊的な超自我が、善意に満ちた人物に首尾よく偽装することだ。この偽装こそが、患者に罪悪感を生み、彼が前進する際にその障害となる。そしてそれがフロイトの述べた陰性治療反応につながるのだ。」
ともかくもこの視点は Bion の精神病的パーソナリテイの研究とともに,イギリスにおける病理的パーソナリティの研究の基礎となり、Steiner の「病理的組織化」の研究に大きな影響を与えたと言われます。