Rosenfeldの自己愛論
Herbert Alexander Rosenfeld(1909-1986)は、言うまでもなくイギリスの精神科医であり精神分析家です。彼の自己愛理論についてまとめてお伝えするのが私の役どころですが、私はクライン派の理論には全然明るくありません。しかしあえて自分に課題を課すつもりでまとめてみます。
実はこのセミナーは、米国の一部の人たちの考えを示すだけにはとどまりたくないという気持ちがあります。そこで少し国際色を出したつもりで、彼の理論をまとめてみることにしました。幸い最近になって松木邦裕先生から貴重な論文を送っていただきましたので、それが大変参考になりました。
この数か月、Rosenfeld の文章を読みながら、私はいったい自己愛とは何かということをいろいろ考えさせられています。やはりRosenfeld の扱っている自己愛は、私たちが慣れ親しんだ「あの」自己愛とはかなり異なるようです。私たちが自己愛という言葉で思い浮かべるのは、DSM 的、自己中心的で他人を支配する、カンバーグやコフートが言っているような自己愛ですが、Rosenfeld やイギリス学派の人々の自己愛はニュアンスが違うということです。彼らの自己愛の理論はむしろ直接フロイトから来ており、その伝統が今なお生きているのです。その間米国では、自己中心的で他人を支配するパーソナリティ障害としての自己愛、DSM的な自己愛に姿を変えていったというわけです。そこでこれからは後者を簡単にNPD(narcissistic
personality disorderの略)と呼ばしていただきます。またこの発表では、私はあえて自己愛とナルシシズムを区別せずに用いることもお断りしておきます。
さてそのフロイトの自己愛ですが、要するにエネルギーが自分に向かっている、自分の中で滞っているという状態として表現できるでしょう。そしてそこに自己はすでに存在します。そこら辺が自体愛とは違うのです。自己愛とは自体愛(つまり自分の体を愛すること)と対象愛の中間、境目という風にフロイトは考えたわけです。だから幼児の発達段階には必ずそれが生じているし、それ自体では良いも悪いもない。いわば状態像としてのナルシシズムと言ってもいいでしょう。ところがDSM的な自己愛は先ほど言ったように、自己中心的で人を利用する、いわばパーソナリティの問題としての自己愛、NPDです。ですからこの二つの自己愛概念はずいぶんかけ離れています。共通する点は、対象がしっかり見えていない、ということでしょうか。するとローゼンフェルトの自己愛の仕事というのは、フロイトの議論と、NPD的な自己愛という概念との橋渡しをしているというところがあります。そしてその上で、Rosenfeld の自己愛論の特徴とは何かを述べるならば、それはフロイトのいった自己愛神経症、つまり精神病、統合失調症を論じたものなのです。そしてその病理としては、フロイトの破壊性や死の本能、それを踏襲したクライン派の羨望や攻撃性をその根拠としてみることになります。ところが米国でのBPDの流れを受け、いやおうなしにRosenfeld の自己愛理論も、DSM的なパーソナリティ障害としての自己愛の議論に引き寄せられることになります。第一統合失調症を自己愛の病理というフロイトの議論にかなり無理があったわけですから。もっと言えば、精神病の病理とは、自己愛、というより自閉ですからね。そのことはRosenfeld もどこかでわかっていたのでしょう。そこでRosenfeld もそれまでのpsychotic という表現から、psychotic and
borderline という呼び方をされる様になります。Psychotic とボーダーラインでは全然違うのにそれが同じ遡上で論じられるということがおきています。少し先走ってしまいましたが、ゆっくり説明いたします。
まずはRosenfeld とはどのような人物なのかについて御紹介します。1909年ドイツ出身。フロイトより半世紀遅れてこの世に生を受けました。Bion、Segalと並んで,第二次世界大戦以後のクライン学派のもっとも重要な後継者の一人とされています。まあクライン派の大御所という感じですね。1986年に死去ということですから、ここにいらっしゃる皆さんの多くが生まれる前にこの世を去ったわけです。つまりかなり昔の人です。後にライバルとなるOtto Kernberg は1928年生まれですから20歳近く先輩です。彼のことはほんの若造、という感じでしたでしょうし、自己愛については俺が先鞭をつけたんだ、という意識が強かったでしょうね。Kernberg自身も自己愛パーソナリティについて論じる際にRosenfeld を引用しています。ただKernbergにしてみれば、僕はしっかり理論化したんだから僕の方が本家だよね、と言うかもしれません。
それはともかく、Rosenfeld はドイツにいる間に小児の情緒障害についての論文で医学博士を取っていましたが、ユダヤ人の医師は患者と接触してはいけない、というヒトラーのお達しがありました。そして医業を続けることができずに、1935年に英国に亡命することになりました。Rosenfeld が26歳ということになります。そして英国に留まるためには何か方法がないかと探し回ったところ、タビストックの精神療法家のための2年コースのプログラムを見つけ、そこに入ることで難を逃れました。そしてオックスフォード近くの精神病院に職を見つけ、後にモーズレーに移っています。最初の病院は典型的なアンシュタルト、つまり病院というよりは収容所で、350人の患者に医者三人、といった感じでした。Rosenfeld は後に精神科医となり、1940年代に慢性統合失調症の患者に対する精神療法的なアプローチに強い関心を抱くようになったわけです。精神医学でも何でも、初期値効果というものがあります。最初に何に出会ったかが、その人にある種の決定的な影響を与えることがあるのです。彼が最初に出会ったのは統合失調症のカタトニーの患者さんだったわけですが、当時はフロイトがそれを自己愛神経症と呼んでいたこともあり、Rosenfeld はいきなり自己愛の病理を扱う運命となったわけです。しかしもちろんこの自己愛は、NPDとは異質のものでした。
さてRosenfeld は精神病の患者さんを扱ううちに、当然の事ながら、ある発見をします。それは精神病の患者さんでも転移が起きるということです。というよりはある種の心の交流を持つことが出来る。これはフロイトの言う「精神病は自己愛的だから転移を形成しない」ということに対してそれとは異なった意見を持つことを意味していました。それを彼は「精神病性転移 psychotic transference」と名づけたわけですが、それを説明する絶好の理論にも遭遇しました。それは彼の分析家であるMelanie Kleinの対象関係理論だったわけです。そしてこの精神病における転移は、Kleinが明らかにした妄想分裂ポジションにおける部分対象関係の迫害不安に満ちた世界が治療者に転移されたものだと主張しました。さらに投影同一化の臨床的な特徴を明らかにし,後の正常な投影同一化の研究の端緒を開いたと言われます。当然ながら投影同一化は私たちみなが多かれ少なかれ持つ傾向ですから、ある意味ではこれは当然のことだったわけです。投影同一化は子供にも、BPDにも、集団にも、あるいは日常心理にもみられるわけですから、この理論を持つことで一気にその理論の及ぶ範囲が拡大することになるわけです。