2018年2月14日水曜日

精神分析新時代 推敲 16

 先ず私の立場を表明しよう。私の立場は精神分析家であり、そして精神科医でもある。精神分析家としての私は、週に4回の分析のセッションも行っているし、週に一度50分の分析的療法も行っている。しかし二週間に一度の方も多い。また週二日の精神科外来では一日40人強のペースで患者さんと会ってもいる。その上で言えることは、多くの精神療法的なアプローチを行う必要のあるケースと、私は週一度50分のペースでは会えていないということだ。精神科の外来では一部のケースに毎週、ないし二週に一度20分ないし30分会うのが限度である。そしてこの一回に50分取れないという事情は実は精神科医である私だけではない。私は心理士さんと組んでプラクティスを行っているが、事実上通院精神療法の本体部分は彼女たちにお願いしていることになる。そしてそれは毎週一回50分ではとてもまわって行かない。私の患者さんの大部分は定期的な精神療法を必要としている方々である。そしてその数の多さを考えた場合には、一時間に二人はこなしていただかなくてはならないというのが現状である。更には料金のこともある。心理士が一時間会うためには8000円程度の料金がスタンダードだが、それを毎週払いきれる患者さんの数は非常に限られているのだ。
 このように私の理想とする精神科医と心理士の共働では、1、2週間に一度、30分のセッションというのは、事実上のスタンダードなのである。これは私が知っているもう一つの世界、すなわちトラウマティック・ストレス学会で出会う精神科医の先生方も言っていることである。「『通院精神療法』(健康保険で決められた、保険のきく精神療法)を行う場合は、二週に一度30分が限度である」というのが彼らの大部分が持っている印象である。二週に一度30分、というスタンダードはこうして事実上精神科医の間に存在するのであるが、だれもそれを精神分析的とは呼んでくれない。
 でも、みなさん首をかしげるかもしれないが、私は大まじめで、二週に一度、30分の分析的な精神療法をやっているつもりなのである。もちろんそれは週4回、ないし週一回50分と比べて、ややパワー不足という印象は否めないだろう。たとえて言えば、精神分析という4輪駆動や、週一度というSUVほどには走れないのだ。でも軽自動車くらいの走りはしている自負はあるし、精神分析的な治療という道を、それなりにトコトコとは知っている気がする。私も「それならば運転できますよ」、と思っているし、患者さんも「それくらいならガソリン代が払えますよ」、と言ってくれる。私は軽自動車で多くの患者さんと出会って、とても満足しているのだ。
 どうして私はそのように感じるのだろうか?それは私はその構造いかんにかかわらず、同じような心の動かし方をし、同じような体験がそこに成立していると考えるからである。このことについてもう少し順序立てて説明しよう。