2018年1月22日月曜日

愛着理論と発生論 やり直し 7

まだまだ変なところたくさんあった。もう一度見直し。トホホ・・・
愛着理論から見た発生論

愛着理論から見た発生論が本稿のテーマである。両者は人間の心の成り立ちに関する理論という意味では密接な関係を有しているはずである。ところが精神分析の歴史では、両者の間にある種の乖離が見られてきた。本稿ではその事情について振り返るとともに、本来あるべき姿としての発生論、すなわち愛着理論に基づく発生論について論じたい。

1.発生論の起源

まず発生論 genetic theory とは何か。それは「心がある起源を有し、そこから徐々に、運命づけられた方向に展開していくという理論」とされる(Auchincloss Samberg, 2012)。米国の自我心理学者 David Rapaport & Merton Gill  (1959) は発生論について、いわゆる漸成説 epigenetic theory もこれに相当するとし、次のような四つの特徴を有すると述べている。「第一に,すべての心的現象は心理的な起源と発達を持っている。第二に,すべての心的現象は心的な資質に起源を持ち,漸成説的な方向に従って成熟する。第三に早期の心的現象の原型は後期のものに覆われてはいても,なおも活動的となる可能性を持っている。第四に,心的発達過程において早期の活動可能性のある原型が後期のすべての心的現象を決定する」。もちろんそこに環境は影響するが、その影響は二次的、副次的ということになる。
 精神分析理論はその出発点からこの発生論的な見地に立ったものと言えよう。小此木(2003)によれば、フロイトのリビドーの発達に伴う精神性的発達論、つまり口愛期から肛門期、男根期、性器期と至るプロセス、Rene Spitz のオーガナイザーモデル,Margaret Malher の分離個体化,Anna Freud の発達ライン, Eric H. Erikson の心理社会的漸成説,Melalie Klein の妄想・分裂ポジション,抑うつポジションなどはすべてこの流れの中で理解できる。小此木はここにDonald W. Winnicott の絶対的依存から相対的依存へ,未統合から統合へ,という理論も含めている。
これらの発生論がどの程度、実際の乳幼児の観察に基づいたものと言えるかについては議論が分かれるところであろう。フロイトはリビドー論に立脚した発生論を案出したが、それはフロイトなりの人間の臨床的な在り様の観察と理解から生まれたといえる。しかしこれらの発生論はいずれも実際の乳幼児の観察データに基づいたものとは必ずしも言えなかった。


発生論におけるWinnicott, Kohutの貢献の特殊性
  
 しかし精神分析的な発生論の中には、後に論じる愛着理論に直接結びつくような論点を含んでいたものもあった。それらの代表として前出の Winnicott と米国の Heinz Kohut を挙げたい。小児科医として長年臨床に携わった Winnicott が描き出した精神分析理論は、実際の乳児の観察に基づいたものであり、フロイトや Klein の欲動論的な理論とは全く独立したものであった。Winnicott の心の発達理論は、母子の間でどのように子供の自己が生成され、それが母親の目の中に自分自身の姿(「分身 double( Roussillon, 2013)を見出す作業を通したものであるとする。母親は子供の分身をその心に宿すとともに、自分という、子供とは異なった存在を示す。それにより子供は自分と母親という異なる存在を同時に体験していく。その際 Winnicott は乳児の心に根本的に存在するものとして、フロイト流の攻撃性や死の本能を想定しなかった。その代わり彼が重んじたのが赤ん坊の持つ動き motility であった。すなわち動因としてはそこに外界や対象に対して乳児が持つ自然な希求を重視したのである。
このような点に着目した Winnicott はその発生論において、「[ 一人の]赤ん坊というものなどいない」(1964)という表現を用い、乳児は常に養育者と存在することの自然さを言い表した。そして同時に他者の不在や過剰なまでの侵入についてその病理性を論じたが、その路線は後に述べる Bowlby の系譜に繋がる発達論者と軌を一にしていると考えていいだろう。
同様の事情は Kohut の理論にも言えよう。Kohut の登場は精神分析の歴史の中では極めて革新的なものであり、その真価はそれが結果的に愛着や母子関係等への研究を含む発達理論への着目をさらに促したことにあるとされる(Schore, 2002, 2003)。Kohut が「自己の分析」 (1971) において論じた自己対象 selfobject の概念は、きわめて発達心理学的な意義を内包していた。成熟した親は、子供に対して自己対象機能を発揮する。そうすることで、母親は未発達で不完全な心理的な構造を持った幼児に対する調節機能を提供する。Kohut はそれを自己対象関係の与える「恒常的な自己愛的な安定性 homeostatic narcissistic equilibrium」(1966)と表現し、それが自己の維持に不可欠なものとした。
さらに発達理論との関連で重要なのがミラリングの概念である(Schore, 2002)。発達理論によれば、生後二ヶ月の母子が対面することによる感情の調節、特に感情の同期化は乳児の認知的、社会的な発達に重要となる。そしてこれが Kohut のミラリングの概念に符合し、Trevarthen (1974) はこれを一次的な間主観性 primary intersubjectivity と呼んだのであった。このように Kohut が概念化した母子の自己対象関係と、その破綻による自己の障害は、発達理論ときわめて密接に照合可能であることがわかる。後者においては母子との関係における情動の調節の失敗としてのトラウマやネグレクトが、さまざまな発達上の問題を引き起こすことがわかってきている。その意味では Kohut はトラウマ理論の重要性を予見していたと言えるだろう。