第6章 無意識を問い直す-自己心理学の立場から
元論文:自己心理学における無意識のとらえ方と治療への応用
最新精神医学 17 巻 6 号 2012 年に所収
「精神分析は無意識を扱う学問である」ということは、あまりに当然すぎる。しかし私が日ごろ感じるのは、分析家たちは、無意識をあまりにも簡単に扱っていないだろうか、ということだ。いや、無意識という概念が軽視されている、と言っているわけではない。無意識は分析家にとってはとても丁重に扱われているのは確かだ。しかしその意味を果たして常に問い直しているのだろうか? フロイトが述べたような無意識、すなわち抑圧された心の内容がそこに押し込められているような場としての無意識の存在を前提とすることに、分析家たちはあまりに無反省ではないか、と問うているのである。
しかし精神分析には、無意識の重要性を否定はしないものの、そこから関心を逸らせている理論も存在する。広い意味では自我心理学がそうであろう。自我心理学は無意識的な欲動を解釈により明らかにするという試みから、その欲動に対して自我により動員される抵抗や防衛に焦点を移したのである。そうしてもうひとつがHeinz Kohutの自己心理学である。自己心理学においては共感という概念の重要性を唱える一方では、そこに無意識がどのようにかかわるのかについての議論は少ない。本章ではこの自己心理学において扱われる無意識を通して、無意識という概念について考え直したい。
Kohutの理論にとっての無意識とは何か? この問いがある意味ではすでに逆説的といえるだろう。もちろんKohutは無意識の存在を真っ向から否定しているわけではない。しかしその概念にほとんど触れることなく、むしろ自己と他者との関係性にその関心を向けたのである。それは事実上無意識を扱わなかったと言われる可能性すらあろう。
あれ?これで終わり?
あれ?これで終わり?