メラニークラインの理論によれば、最初の4か月の対象関係はその後もある程度見られるのであるが、それはパラノイア的でスキゾフレニア的である、というのだ。そこでパラノイドポジションとはどういうものかといえば、攻撃的な本能がリビドー的な本能と並行して存在するが、前者がことに強い、という。対象はよい、悪いに分かれ、取り入れ introjection
と投影 projection がその心の機能の主たるものとなる。不安がきわめて強いが、それは悪い対象から迫害される persecute といったものだ。さてここからややこしくなるぞ。
クレペリンから引き継がれたターミノロジーでは、パラノイドはパラノイアと似ているが、妄想は解離という点でパラノイアとは違うという。つまりパラノイドとパラノイアは、ドイツ語では違う、というのだ。つまりはパラノイド paranoid とパラノイアック(paranoiac パラノイア様)とは違うが、英語ではごっちゃになってしまったという。えーい、めんどくさい!! こんなこと必要なのかな。そしてクラインもこのことには無頓着だったという。彼女は最初はこの言葉の前に「persecutory phase 迫害的なフェーズ」という言葉を用いていたというのだから、最初からこの意味だったというわけだ。クラインは子供がファンタジーの中で迫害されるという不安を、「精神病的な子供」に見たとされる。まあこれはオーティズムのことだろうな。あるいは解離か。
最初はクラインはこれをアブラハムの分類の、「第一肛門期」に位置づけたが、そのうち口唇期に持って行ったという。この考えはクラインの Some
Theoretical Conclusions regarding the Emotional Life of the Infant’ (1952)に詳しく書かれているというが、決して読む気になれない。その代りラプランシュたちは要点をまとめてくれている。あとは明日。