2017年12月23日土曜日

パラノイア 推敲 2

パラノイアが私たちの生存にとって必要不可欠なものだとしたら、どうしてパラノイアはこころの病理の一つとして論じられるのだろう? それは私たち人間は(そしておそらく動物も)敵に注意を払うというモードと、安心して食事をし、睡眠をとるモードのバランスをとっているからであり、それが崩れた場合が問題とされるからだ。このバランスについては、前者は交感神経系、後者は迷走神経系と、大雑把に分けて考えることが出来るだろう。両者が常に緊張することは生体にとって健康をもたらさない。特に私たちの生命活動の大部分が天敵から身を守ることに費やされるとしたら、常に交感神経系が緊張を強いられ、それによるストレスは私たちの寿命を極端に短くするかもしれない。先日テレビで野良猫と飼い猫の寿命の違いについて放映していたが、前者はそのストレスのせいで飼い猫よりはるかに短いという。飼い猫は10年以上生きるのに、野良だと2~4年だという情報もある。そして野良の短命に多くの原因はあるものの、ストレスはその大きな要因であり、ストレスホルモンであるコルチゾールの過剰分泌は、免疫力の低下をもたらすのだ。ただしもちろん野良猫が短命である大きな理由は感染症であり、個体間の生存競争により命を落とす率がそれだけ高くなるからだ。そして人間の寿命が昔は非常に短かったことも同様の理由によるのである。(江戸時代の日本人の平均寿命は3040歳だったという。もちろん高い乳児死亡率もここには含まれている。)
 話が脱線気味だが、パラノイアは私たちの生活において、やはり非日常であり、一時的に動員されはしても、やがて解かれる心の状態ということが出来るのだ。そしてそれは必要に応じて、いわば手段として用いられるものなのであるが、時に人はパラノイドのループにはまり込んでしまう。つまり傍から見たら不必要だったり、非合理的だったりする形で人は猜疑的になる。これがいわば病的なパラノイアであり、それが私たちの関心の的なのである。
メラニー・クラインの理論
ということでどうしてもここまで戻るしかない。パラノイアといえば、クラインの妄想分裂ポジション(paranoid-schizoid position)(以下、PSと表記しよう)を論じないわけには行かないからだ。
クラインは、PSを発達早期、生後4~6 ヵ月の乳児の心の状態として論じたことで知られる。そこでは心は快、不快に基づく反応で占められ、自分に不快を与える相手(もの)を「悪い存在」とし、快を与えてくれる相手(もの)を「良い存在」とした。乳幼児の体験がまだ部分対象関係にとどまるうちは、赤ん坊はよく出るオッパイをよい存在、そうでないオッパイを悪い存在として「分裂」する。でもそれにしてもどうしてパラノイドポジションって言うんだろう?よしラプランシュ・ポンタリスの精神分析辞典で調べてみよう。ということでまずは英語版によるその定義を PepWeb からダウンロードし、コピペしよう。 

Paranoid Position

D.: paranoide Einstellung.–Es.: posición paranoide.–Fr.: position paranoïde.–I.: posizione paranoide.–P.: posição paranóide.
According to Melanie Klein, a mode of object-relations which is specific to the first four months of life but which may also be met with subsequently, in the course of childhood and particularly in paranoic and schizophrenic states in the adult.
The paranoid position is characterised as follows: the aggressive instincts exist from the start side by side with the libidinal ones and are especially strong; the object* is partial (chiefly the mother's breast) and split into two: the ‘good’ and the ‘bad’ object*; the predominant mental processes are introjection* and projection*; anxiety, which is intense, is of a persecutory type (destruction by the ‘bad’ object).
(以下略)