脱学習とは
ここで脱学習という概念に触れておかなくてはなりません。ヘレンケラーは、私は大学で沢山学んだが、そのあと沢山unlearn
学びほぐさなくてはならなかった。さてこの脱学習の難しさは何か。誰も教えてくれない。教えられたならば、その教えてくれた人をlearn するだけになってしまう。結局学びほぐす時は全くの一人なわけです。でもそれをやらないと自分になれない。その意味では最も楽しく、また最も難しいのが、この精神分析の脱学習ということだと思います。
そこで学びほぐしについて。この絶妙な表現は鶴見俊輔のものであるという。鶴見氏はこんな体験を持ったという。戦前、彼はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。彼が大学生であることを知ると、「私は大学でたくさんのことをまなんだ(ラーン)が、そのあとたくさん、まなびほぐさ(アンラーン)なければならなかった」と彼女は言ったという。彼の頭には、型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像されたという。実は2006年12月27日(水曜日) 朝日新聞(朝刊)13面「鶴見俊輔さんと語る 生き死に
学びほぐす」という記事があったらしい。実はこれをネットで手に入れたが、ヘレンケラーの話は直接は出てこなかったからこれをソースにするわけにはいかない。でもともかくもほぐす、という彼の訳語はこの毛糸のイメージから来ていると思えばわかりやすいわけだ。