私が脱学習の結果としていたったのは、
1 精神分析を一つの出会いとしてみることだと思います。というか精神療法はそれが出会いとなることで治療的なインパクトが与えられることになります。
私はよく駆け出しの治療者がスーパービジョンで多くのことを学んだという話を聞くたびに、本当だろうか、と思います。もちろん右も左もわからないときにスーパーバイザーに言われることはみな正しいように聞こえるものです。しかしそのうち必ず、バイザーの言うことに、「これはおかしいのではないか?」と思うことも出てきます。ある意味ではそこからが本当のスーパービジョンというところがあります。そして後は異なる考え方をする人同士のバトルになるわけです。そこでスーパーバイジーは本気でバイザーと対決するべきだと思います。よく分析で被分析者と分析家の間のケンカという話が出ます。でも分析家に理解されなかったからといって被分析者は怒り出す必要はないわけです。ところがスーパービジョンは、ケースという第3者、として最も重要な受益者の運命がかかっていることもあり、よりいっそうの真剣勝負というところがあります。
それにバイザーの言うことには理屈に合わないこともいくらでもあります。よくスーパービジョンで問題になるのが、「何であなたはそういう時しっかり解釈しなかったのか?」というような駄目だしです。しかし治療中にはバイザーには見えないいろいろなことがおきているものです。第3者の立場での視野と実際に治療を行っている治療者(バイジー)の立場には大きな違いがあります。そのことを考慮せずにあれこれ駄目出しされたときの治療者のふがいなさも相当なものだと思います。バイジーはプライドをかけて、自分の立場を主張すべきです。
もちろん「これからもお世話になるバイザーとケンカすることなんてありえません」という立場はよくわかります。しかし通常SVにはお金が発生します。一時間8000円払って意味のないアドバイスを与えられ続けることは時間とお金の無駄です。それを自分に許す人は、健全な自己愛を持ち合わせているとは言えません。
とはいえ、現実には多くのバイジーは、合わないバイザーからは喧嘩をする代わりに静かに離れる事を選択します。時間の都合がつかなかったから、ケースが終わってしまったから、などさまざまな理由をつけるでしょう。しかし大概は自分と合わないバイザーと継続することに意味を見出せないからです。そしてその場合に「先生とは考えが違うのでもう終わりにします」と正直に言うバイジーなどほとんど聞いたことがありません。
私はこれも喧嘩とみなしていいのではないかと思います。自分と合わないバイザーとのSVはさっさと終わらせる。そのときバイザーの気分を害してまでそれを終わらせる必要はないかもしれません。大概はバイザーは一家言を持っていて自分の考え方を容易には変えません。ただある程度こちらの考えを伝えて、どこまで互いに分かり合えるかを探索する必要はあります。少しのバトルは必要で、そのプロセスでバイザーがどの程度聞く耳を持ち、柔軟な姿勢を示すかを見ます。その上で荒っぽい喧嘩をしても何も得ることがないと理解したならば、それを回避するのも大人の判断かもしれません。しかしそれでも何らかの言葉を残しておく必要はあります。それはクライエントとの関係を考えればわかります。クライエントの言葉の中を聞いて、どうしても自分が一言口を挟みたい場合、反論したい場合、それをしない治療者は自分の職務を果たしていることにはならないでしょう。その意味での対決を避ける治療者の態度は決して望ましいとは言えません。