2017年9月4日月曜日

第6章 無意識を問い直す ②

無意識=右脳という考え方
ショアのもう一つの重要な主張は、無意識の生物学的な基盤を右脳とみなすことが出来るというものだ。ここで少し脳の構造について振り返ってみる。脳科学の進歩により左脳と右脳の情報処理の機能がかなり分化していることが知られている。言語野は90%以上の人において左半球にあり、左半球が損傷されると言語やほか多くの精神機能の異常をきたす。そのためにかつては精神の主たる機能が左半球にあると考えられ、左半球を優位半球、右半球を劣位半球と呼ぶことが多かった。しかし最近の研究で、右半球にもさまざまな重要な機能が備わっていることがわかってきている。
 現在の脳科学の理解では、左脳は言語、論理的、分析的、系列的な能力、右脳は空間的、形態的、表象的、同時並行的な能力を担当するとされる。わかりやすく表現するならば、右脳の能力は物事の全体をつかみ、その中で事柄のおかれた文脈を知るということである。右脳が傷害されると、言葉の字義的な意味はわかるものの、その比喩的な意味や行間の意味などについての理解が不可能になる。そのために右脳はよりグローバルな理解を行うという人間としてきわめて重要な精神の機能を営むことがわかってきている。
 左右脳を結ぶのは脳梁という3億本の神経回路の束からなる構造である。それが左右の脳の交通路となっているが、それらはお互いを抑制したり、活性化したりということが起きていると考えられている( Bloom, JS and Hynd, 2005)。たとえば左脳が活性化されているときには右脳を抑制することが知られる。それが精神分析でいう抑圧に相当するであろう。また感情的に高ぶると言語野が抑制されるという現象もよく知られている。これは私たちの日常体験とも一致する。      
 さて以上は従来の脳科学的な理解であるが、発達理論や乳幼児観察の発展に関しても右脳についての更なる理解がなされている。発達論者が最近ますます注目しているのが、発達初期の乳幼児と母親の関係、特にその情緒的な交流の重要さである。早期の母子関係においては、極めて活発な情緒的な交流が行なわれ、母子間の情動的な同調が起きる。そしてそこで体験された音や匂いや感情などの記憶が、右脳に極端に偏る形で貯蔵されているという事実である。愛着が生じる生後の2年間は、脳の量が特に大きくなる時期であるが、右の脳の容積は左より優位に大きいという事実もその証左となっている (Matsuzawa, et al. 2001)。このように言語を獲得する以前に発達する右脳は、幼児の思考や情動の基本的なあり方を提供することになり、いわば人の心の基底をなすものという意味で、ショアは人間の右脳が精神分析的な無意識を事実上つかさどっているのだと発想を得たのである。