2017年9月22日金曜日

第10章 トラウマと精神分析 (2) ③

構造的解離理論の立場 
ここに述べたジャネの理論を基本的に踏襲しつつ、最近新たに理論的な展開を試みているのが、いわゆる構造的解離理論の立場である。いわばジャネ理論の現代バージョンというわけであるが、この理論についても簡単にみてみよう。オノ・ヴァンデアハート、エラート・ナイエンフイス、キャシー・スティールの3人はジャネの理論を支柱にして、解離の理論を構築した(24)が、その骨子は、人格は慢性的なトラウマを被ることで構造上の変化を起こすというものである。健常の場合には心的構造の下位システムは統合されているが、トラウマを受けることでそこに断層が生じる。それにより心的構造は、トラウマが起きても表面上正常に保っている部分(“ANP”)と、激しい情動を抱えた部分(“EP”)に分かれるとする。そしてトラウマの重症度に応じてそれぞれがさらに分かれ、人格の構造が複雑化していくと考えるのである。
 彼らの主著「構造的解離理論」(24)はかなり精緻化された論理構成を有する大著であるが、そこで問題となっているトラウマは、結局は明白な「対人トラウマ」(以下に記述する)いうことになる。彼らは解離性障害をトラウマに対する恐怖症の病理であるととらえているが、そのトラウマとして挙げられているのは性的、身体的外傷、情緒的外傷、情緒的ネグレクト(無視、放置、育児放棄)である。そしてそれらを知る上でのツールとして彼らが第一に用いるのが、「トラウマ体験チェックリストTraumatic Experiences Checklist(18).というものだが、これは上に列挙したトラウマが、いつの時期に、どれほど続いたかを記入するといった形式をとる。その前提となっているのは、やはり明白なトラウマの存在が解離の病理を引き起こしているという「常識」であると言わざるを得ない。
DIDと幼児期のトラウマとの関係
1970年代になり解離性障害が注目されるようになって以来、解離性障害の研究や治療に携わってきたエキスパートたちは、その原因として、幼少時の性的ないし身体的虐待などのトラウマを唱える傾向にあった。リチャード・クラフト、コリン・ロッス、フランク・パットナムなどはその例である (23)。彼らの研究によれば、DIDの患者の高率に、性的、身体的虐待の既往が見られるという。最近の欧米の文献ではこれらのトラウマやネグレクトを合わせて「対人トラウマinterpersonal trauma」と表現するようになってきているので、本稿でもこの用語を用いることにする。対人トラウマが解離性障害の原因である、というとらえ方は、以降精神医学におけるひとつの「常識」となった観がある。(ちなみにこの概念と、以下に述べる筆者自身の概念である関係性のトラウマrelational trauma との混同には注意が必要である。)
1980年代にDIDの研究のカリスマとして登場したクラフトはいわゆる「4因子説」(14)を提唱した。それによると第1因子は、本人の持って生まれた解離傾向であり、第2因子は対人トラウマの存在、第3因子が「患者の解離性の防衛を決定し病態を形成させるような素質や外部からの影響」であり第4因子は保護的な環境の欠如ということである。すなわちクラフトの理論では対人トラウマがDIDの原因として重要な位置を占める。またブラウンとサックスによるいわゆる3 P モデル(7)でも、準備因子、促進的因子、持続的因子のうち促進的因子として親からの虐待等が含まれる。さらにロスの四経路モデルもよく知られるが、それらは児童虐待経路、ネグレクト経路、虚偽性経路、医原性経路であり、そのうち中核的な経路である児童虐待経路が対人トラウマに相当する。このようにこれらのエキスパートの論じた成因論には対人トラウマが解離性障害の主たる原因として登場するが、母子間の微妙な感情的、言語的なズレから来るストレスについての言及はなされていないのである。
解離性障害の原因は愛着障害なのか?

ところで最近になり、上記の解離性障害に関する「常識」にある異変が起きている。解離性障害の病因として患者の生育環境における母子関係の問題が最近検討され始めているからだ。特に親子の間の情緒的な希薄さやミスコミュニケーション等を含んだ愛着の問題が注目されているが、この問題はこれまで主流であった対人トラウマに関する議論に隠れてあまり関心が払われずにいた。昨秋日本を訪れたパットナムもその講演の中で養育の問題が解離に与える影響について何度か言及していたのが記憶に新しい。
 解離性障害と愛着障害を最初に結び付けて論じたのはピーター・バラック(4)とされる。彼は養育者が子供をネグレクトしたり、情緒的な反応を示さなかったりした場合に、その子供は慢性的に情緒的に疎遠となり、それが解離に特有の無反応さemotional unresponsiveness に結びつくと論じた。
 リオッティは子どもが情緒的な危機に瀕した時に、愛着反応が活性化されるという視点を提供している(15, 16)。そしていわゆる「混乱型愛着」がDIDに幼少時に見られる傾向にあること、そしてその幼児期の混乱と将来の解離がパラレルな関係にあるという説を提唱した。リオッティによると、不安定で混乱したタイプDの愛着により、自己と他者に関する複数の内的なワーキングモデルが存在することが、DIDの先駆体となるという。これはボールビィ (6) が述べた、養育者の統合されていない内的なワーキングモデルが子供に内在化されるという議論を引き継いだものであった。
 このリオッティの研究を継承したのが、オガワ (19)らの大規模な前向性の研究である。この研究は高リスクの子供126人を19歳になるまで追跡調査した。すると混乱型愛着と養育者が情緒的に関われないことが、臨床レベルでの解離を起こす最も高い予測因子となっていたという。またそれに比してトラウマの因子はあまり貢献が見られないという結果も得られたという。
 解離性障害の形成される過程を愛着の視点から検討することは、これまでの明白な対人トラウマにより解離性障害が起きるという「常識」からは大きく外れることになるが、それは以下に筆者が提唱する関係性のストレスの問題とはむしろ近い関係にある。