それから何年かして私は帰国し、日々臨床を行っているわけだが、今度は私が逆の立場を体験することがある。私の患者さんで私が書いたものを読んでいる方がいらして、その内容に関する話が出ることがあるのだ。「先生が書いてあったお宅の犬は最近どうしてますか?」とか、「先生の対人恐怖の傾向はどうなっていますか?」などと尋ねられる。そのたびに私は少し複雑な思いをし、時には顔がこわばったり、また時にはうれしく感じたりするのだ。そして患者さんが転移感情について語り、私自身について言及するのを落ち着いて聞くことは決して容易ではないことを身をもって体験することになった。
転移がパワフルなのは、それが患者の口から語られた際に、その内容が否応なしに治療者自身にかかわってくるために他人事ではいられなくなるからなのであろう。そこで引き起こされる恥の感情や気まずさのために治療者自身が非常に防衛的になってしまい、場合によっては投影や否認等のさまざまな規制を用いてしまう可能性があるのだ。
転移の理論の発展
転移に関する理論的な背景について少し述べよう。転移の概念を提出したフロイトは、それをいくつかに分類している(1)。それらは「陰性転移」、「抵抗となることのない陽性転移」、「悪性の陽性転移(性愛化された転移)」などである。この中でフロイト自身は、「邪魔にならない陽性転移」を、治療が進展する上での鍵であるとさえ言っている点は注目すべきだろう。 ただしフロイト自身は転移を直接扱うことには比較的消極的であったという印象がある。