2017年7月25日火曜日

大文字のD 書き直し ⑦ ディープラーニング ①

Unlike Fairbairn, Winnicott’s theory of dissociation is very unique and it played an essential part of his theory. He on the one hand considers a healthy inborn dissociation and trauma-related dissociation.(P339), the former being the basis for the true self, while latter being a defensive maneuver when traumatic situations occur. He stated succinctly the role of the therapist with dissociative patients, saying that it is therapist’s eye that holds the integrated selves(Abram, 342), stressing that it is the therapeutic relationship which holds the key to the resolution of dissociative pathology.
Winnicott considers that what is dissociated is not experienced yet by the individual.
…. . . that the original experience of primitive agony cannot get into the past tense unless the ego can first gather it into its own present time experience . . . In other words the patient must go on looking for the past detail which is not yet experienced. This search takes the form of a looking for this detail in the future . . . On the other hand, if the patient is ready for some kind of acceptance of this queer kind of truth, that what is not yet experienced did nevertheless happen in the past, then the way is open for the agony to be experienced in the transference . . (Winnicott, 1963:91)

Thus, Winnicott suggests that what has happened is not yet experienced by the patient if he or she is not ready to accept it. There is still one person who went through the experience and did not hint that there is some separate and independent subject which went through the experience. Thereby we could say that Winnicott’s idea of dissociation never reached the level of what van der Hart called type (2) either.


ディープラーニングと人間の心 ①

625()NHKスペシャル 「人工知能 天使か悪魔か 2017」で特に興味深かった点がある。それはAIの能力がブラックボックス化をしている、ということである。
 たとえばある日本の人材派遣会社は、派遣社員との面接記録の文章から、その人がどの程度近い将来の退職の予兆があるかをAIが察知する。しかしAIが「この人が将来退職するに違いない」と判断した文章を見ても、どうしてなのかわからない。その中の特定の単語?特定の語順?文章の長さ?どれも決め手にはならない。もちろんAIに聞いてもわからない。AIはディープラーニングをしてパターン認識の経験を積んだだけなのだ。Aという入力からBという出力が導き出される。しかしABを結ぶのは、膨大なネットワークの、数限りない、それぞれが微妙に異なる重みづけを担った結び目でしかないのだ。どうしてAからBが出たかを問うことは、その道のりをたどることでしかない。AIのブラックボックス化、とはそういうことである。
 この事情を別のAIのソフトで言いなおそう。マンモグラフィーから乳がんを検知するプログラムが注目されている。熟練の放射線科医にも濃淡の霧のようにしか見えない画像のどれかについて「これは悪性腫瘍だ」と見抜く。AIに「どうしてわかったの?」と聞いても答えがない。つまりここで起きているのは、一見ランダム性を帯びた情報の山から、ある種のパターンを見出すことが、少なくともAIにはできることであり、それはおそらく人間のあることについての熟達者が示す力に類似して、それをはるかに凌駕しつつあるということである。プロの棋士は素人どうしが差している将棋を通りすがりにちらっと見ただけで、すぐに詰みの手を見出すという。でもどうしてわかったのかをその棋士に聞いても「ピンときた」以外の答えは聞けないのではないか。その意味では熟達者の脳もまたブラックボックスということになる。

この問題が面白いのは、私たち分析家が患者の夢を聞いたり、ロールシャッハの反応を聞いたりして患者の心を判断するという行為である。熟練の分析家やテスターがどの程度正確に読むことが出来るのであろうか?AIと同じことを当てはめてみよう。熟練の分析家は夢の全体を聞いて、直感的にこの「人は~だ」と判断する。しかしなぜだと聞かれてもわからない。また「~だ」には様々なものが当てはまる。そこにはたとえば「~に対する攻撃性が表わされている」「~という願望を持っている」などの類であろう。「将来精神病を発症するかもしれない」でもいい。熟達した分析家なら、おそらくかなり正確に言い当てる人がいるかもしれない。しかし彼はおそらく夢のどの部分がそう思わせたのかを明言できない。全体から来る情報が彼の無意識のコンピューターに処理されて、そういう結論が出たのだ。もちろん夢の中に明らかなキーワードが出てきたらそれを決め手にするだろう。先ほどの派遣社員なら、「やめたい」「もうたくさん」という言葉が出てきたら、AIでなくても退職を予見するであろう。しかしAIの優れたところは、一見意味を持っていない様々な情報を総合的に判断して、ある驚くべき結論を見出すのだ。
 このことは、おそらく精神分析的な「聞き方」の理解は大きな変更を迫られるということを意味する。そしてそこではフロイトの発想の一部はおそらく保持されるのだ。彼は「平等に漂う注意」により、患者の話のどれか特定のものにこだわることなく聞き、そこからある種の直感的な理解を得ると述べた。実はこれはAIがやっていることなのだ。この部分のフロイトの発想は正しかった。しかし人間はAIではないし、結局は特定の情報にのみ耳を傾けてしまう。フロイトだって結局は、平等に漂う注意と言いながらも、性的な内容ばかりを聞き、患者の言葉一つ一つを取り上げて解釈をしようとしたのである。そしてその結果として私たちが知っているのは、フロイト的な夢の解釈はあまりにも個人差があり、信ぴょう性が低いということなのだ。
 私たちは今のところ、大脳皮質で行われていることがAIによるディープラーニングとは異なると言い切れる絶対的な確証はない。というよりは私は脳はディープラーニングをしていると思う。しかしもしそうであるならば、それはブラックボックスであり、直感に左右され、その多くはランダム性を帯び、たまに直観による正解を含む、ということでしかない。少なくとも治療は無意識を知ることであるという目標は、あまりにも理想が高く、荒唐無稽だということである。何しろ無意識はブラックボックスだからである。