2017年5月30日火曜日

あらたに収録する章 「関係精神分析」⑥


2.精神分析のトレーニング中に生じた疑問

私がその後に米国で受けたトレーニングに関しては、そのエッセンスのみ拾って論じたい。まず私はトレーニングの開始早々関係精神分析に出会ったわけではなかった。また当時その理論について聞かされていたとしても、その価値を理解はできなかったであろう。私が所属していた精神分析協会では、患者に対して自由連想を促し、受身性を守りつつ転移解釈を行うというかなりオーソドックスな治療文化が成立していたし、私もその影響を受けつつトレーニングを開始した。しかしそこでも日本での体験と類似した経験を持つことになった。精神分析の基本原則に従った治療に伴ういくつかの疑問が生じたのである。
私は分析協会のトレーニングの一環として、分析的精神療法のケースを何人か担当することとなった。その治療過程で、従来の精神分析的なやり方にしたがっても治療に進展が見られない場合、私は「基本原則を用いることに徹していないからだ」というアドバイスと、「基本原則を柔軟に用いていないのだ」というメッセージを別々のスーパーバイザーから与えられることがしばしばあった。私はこの矛盾を自分なりに解決する以外になかったが、それは多くの困難を伴うものだった。私は最初は「基本原則に徹するべし」という前者のアドバイスに従ったが、受身性や匿名性を徹底させることによる治療的な弊害がさらに増したと感じられることがあった。しかしだからといって「治療原則を適切に、柔軟に運用なかったからだ」という理屈もなかなか受け入れることは出来なかった。なぜならそうすることは精神分析の基本精神とは相容れないように思えたからである。
分析的な方法はそれを突き詰め、純化することでその価値を生むということは、そもそもフロイトの治療原則に含意されている。フロイト自身の用いた純粋な金(「解釈」による精神分析的な手法)と、混ざりものの銅の合金(「暗示」の混入した治療方針)の比喩(3)や徹底操作の概念などは、いずれも精神分析的治療の徹底が治療の成功への鍵であるということを前提としていたはずである。それに受身性や匿名性は、それを純粋に追求することで弊害があるとしたら、それは理論的に破綻しているのではないか、それでは分析的精神療法ですらなくなってしまうのではないか、というのが当時の私が何度もたどった考えの道筋であった。
さらに私は精神分析のトレーニングと平行して、精神科のレジデントとして精神医学の再教育を受けたが、そこでは精神分析とは異なる療法を学ぶこととなった。つまり薬物療法以外にも認知療法、行動療法、集団療法、家族療法、バイオフィードバック、電気ショック療法等の、様々な治療的アプローチの基礎を体験したのである。そしてそれぞれに歴史的な背景があり、治療理念があることを知った。このことは精神分析的な考え方をかなり相対化した形で捉えなおすという体験へとつながった。
私は精神科医として患者とかかわりをも持つなかで、私なりに治療者としてのアイデンティティを模索していったが、そこで手ごたえを感じたのは、患者との情緒を伴った人間的な出会いであった。そしてそれが生じる機会は精神療法の構造を保った上でのかかわりには決して限定されていなかったのである。それは薬物療法に関する短い面談においても、朝の病棟での回診時でも、病棟のロビーで雑談をしている際にも生じることがあった。それには私自身の内側から自発的に患者に向かって表現された何かが関係しており、精神分析的な基本原則はそれに反省を加えたり、制限を与えたりして二次的に形を整えるものでしかなかった。私はそれを従来の精神分析理論と照合しようと試みたが、支持的な療法の文脈で生じた「パラメーター的」な関わりという漠然とした位置づけしか得られなかった。