2017年5月3日水曜日

カオスの淵 ③

 その株価の動きを人の足の動きに見よう。前に進むかと思うと、ちょっと後退する。一歩進んだと思えば二歩下がる。結局一瞬先は全く読めないことになる。なぜならある傾向が見られるや否やそれへの反作用が働くからだ。株価は傾向を反映できない形で動かざるを得ない。すなわち微分が不可能ということになる。これを千鳥足(酔っぱらいの歩行、drunker’s walk)とはよく言ったものだ。
 人の自己表現にも似たようなところがある。自分を出そうとする。すると出しすぎることへの抑制が掛かる。しかしそれでは面白くないのでまた出そうとする・・・・。
 人への協調性と敵対心にしてもそうだ。協調し、妥協しすぎるとそれへの反作用が生まれる。結局微分不可能ということになる。それを「非線形性」と表現するときは、その動きが全く予想できないわけではなく、ある程度は予測できるよ、ということである。微分不可能性はその予測さえも正確にはできないということを意味する。株の動きを細かく追うということは、つまり時間をうんと遅くして、コンピューターで制御するということは、結局フラクタルに向かっていくということなのだ。
 微分不可能、とは考えずに非線形的と考えることで、世の中の動きは少しは見えやすくなる。というか実際はそのレベルで動いている。酔っぱらいは少しは前に進む。方向性はある程度は見える。それはある程度「釣られる」という動きだろうか?AさんとBさんの心の読みあいだって、「相手の裏をかこう」の反対に動いている心理は「相手に後れを取ってはならない」である。Bさんが突然株を買い始めた。Aさんの方は裏をかくどころか「後れを取ってはならない」の心境になるかもしれない。これはバブルを生む。するとここには「裏をかくか、それとも自分もバスに乗るか」という緊張関係がそこに働いていることになる。これもまた千鳥足に貢献しているということかもしれない。