土居先生お世話になりました
(土居健郎先生追悼集 (2010年)に所収)
私はこのような文を書かせていただく資格はあまりないように思う。土居先生を恩師と呼べるような直接のご指導を受けてはいなかったからだ。ただ一方的なお願いごとをしてお世話をいただいたという意識だけがある。
私が医学生のころから、土居先生はすでに著名で近寄りがたい存在だったが、所属する医学部の精神科の教授ということだけで、こんな葉書を差し上げたことがある。「私は医学部の二年目ですが、精神科に進もうかと考えています。今読むべき本を教えてください。」土居先生は一面識もない医学生にもお返事をくださった。「今はいい文学書にでも親しんでおいでなさい。」いかにも土居先生らしいシンプルな答えであったが、私にはその真価が十分にわからなかった。
それからほどなくして土居先生の退官記念講演があった。私にとっては先生の講義を聞く唯一の機会だったため、勇んで講堂に現れた私は、入り口で三人のクラスメートにたちまちつかまってしまった。精神科への志望をすでに明確に持っていながら、その道の大家の講義を聞かずに、赤門近くで「四人による遊戯」で時間を過ごしてしまうことにはさすがに後ろめたさを覚えた。
後に精神科医になった私は、またご迷惑をおかけした。いきなり原稿用紙500枚の論文を読んでほしいと持ち込んだのである。臨床を初めて二年目の夏に、私はそれまでの一年間の臨床を通して膨らんでいたさまざまな着想を原稿用紙に書き綴った。自分の考えにうまく形を与えられずに悪戦苦闘したが、秋ごろには一抱えもある原稿用紙の束になった。最後は「人の行動が快楽やその予期によりいかに決定付けられるか」というようなテーマにまとまったのだが、あちこちに修正の入った手書き原稿、引用文献なし、というとんでもない代物だった。しかし私は書いている間中、その真価をわかってくれるのは土居先生しかいないと一方的に思い込んでいた。そして書きあげるや否や先生に面会を申込み、当時の先生の勤務先の国府台の国立精神衛生研究所に先生をお訪ねして原稿を手渡した。先生はあきれた表情で、「君の意気込みはよくわかった。だがとても全部読む気になれないよ。十分の一の長さにしなさい。」といわれた。私が一月ほどかかって要点のみを拾ったダイジェスト版をまとめると、それを読んでいただいた後に、先生は今度も実にあっさりとおっしゃった。「僕は君の言うことには反対だな。」そして「人は快楽以外に対しても動くものだよ。まあ、あせらずにやりなさい。」と諭していただいた。
(以下、それほど長くないが略)