2017年4月9日日曜日

関係精神分析入門 ①

関係精神分析
 今日はこのお話をしますが、皆さんが大部分はサイコロジストであるということが気になります。
私はこれから関係精神分析についてお話をし、ある意味ではお誘いをするわけですが、皆さんがそもそも精神分析の世界をあまりご存知ないとすると、私の話が少しも理解していただけない可能性があるからです。そこでひとつ前提となる話からします。
皆さんは、関係精神分析といえば、いくつかある学派の一つだとお感じになるかもしれません。つまりフロイト派、クライン派、コフート派、といういくつかの学派のうちの一つに過ぎないとお考えでしょう。しかし精神分析の中で関係精神分析の話をすると、たいてい警戒の念を持たれます。というのも関係精神分析は従来の精神分析の既成概念の枠を破り、ある意味では旧態を打破しようとするかなりラディカルな動きを意味するからです。他の学派はたいていはフロイトの教えを含み、そこから理論を発展させているところがあります。いわば精神分析という教会の内部に留まっています。皆キリスト教を信じています。キリストのことを誰も悪く言ったりしません。ところが関係精神分析は、キリストを批判するようなところがあります。あるいはキリスト以外にも神はいるよ、というかもしれませんし、神はどこにもいないと言い出すかもしれません。ならばどうして教会の中に、あるいは精神分析の世界にいるのか、と問われたら、いや、これが新しいキリスト教だ、あるいは宗教だというかもしれません。キリストを信じない、あるいは神を信じないキリスト教徒はそれ自体が矛盾した存在です。ですから宗教を比喩として用いた場合の関係精神分析は矛盾に満ちていて、教会の中に存続させておくことそのものが混乱を引き起こすことになると思います。ただしここからが宗教と精神分析とが異なるところです。
フロイトは自分の理論が精神分析であり、それ以外は精神分析ではない、とは言ってはいません。そうではなくて、人の心に働きかけ、その悩みを解消していくための手段と考えたわけです。そして関係精神分析は、フロイト以来の伝統には限界があり、新しいものの見方が必要であり、それが患者のためになる、という主張を行っているわけです。

私はこの関係精神分析のお話を二つの方向から行いたいと思います。一つは理論の変遷であり、もう一つは最近の脳科学的な心の理解です。幸い関係精神分析が示す心の在り方と、脳科学的な知見が示す心の在り方は、同じ方向を向いています。ですから両者は融合のプロセスにありますし、それを一つのテーマとして話すことが出来るわけです。