2017年3月31日金曜日

トラウマと精神分析 ①

トラウマと精神分析というエッセイを書くことになった。ほとんど書くことはいつもと変わらないが・・・・。

以前に発表した同タイトルのPPT原稿は、次のようなサマリーに基づいたものだった。去年のトラウマティックストレス学会でのことである。

「精神分析という世界の内側にいると、分析的なアプローチへの批判や猜疑心だけではなく、期待も聞こえてくる。トラ ウマに対する治療に関する精神分析への期待とは、「トラウマを扱うだけでなく、より深層からアプローチし、洞察を求 める」ことになろう。そして精神分析を専門的に用いる治療者にも、多くの場合はそのような自負ないしは覚悟がある。 このような期待は、精神分析の理論が時は非常に複雑かつ難解で、そのトレーニングシステムも複雑かつ重層的であり、 その分深遠に映ることにも起因しているであろう。
 しかし精神分析の内部に身をおく立場としては、「洞察を求める」というプロセスや手続き自体が決して明快ではなく、 また容易ではないという事実の認識がある。無意識の探求とは、フロイトが想定していたものとは異なり、まさに海図のない航海と形容すべきものである。また「洞察を求める」ことは理想的には「トラウマを扱う」ことの先にあり、両者は 深く結びついているはずなのであるが、実はこの両方のアプローチは微妙に矛盾し、齟齬をきたす可能性がある。その根 底には、伝統的な精神分析の基本方針は、トラウマを扱う基本的な仕様を備えていなかったという事情がある。  本発表ではこのような背景を踏まえて、トラウマ治療における「共通因子」の問題について精神分析の立場から論じた。」

精神分析への「期待」には以下のようなものが聞かれる。4つ挙げてみた。

  • 精神分析はトラウマに起因する症状よりもより深層にアプローチし、洞察に至るものである。
  • トラウマに関連した症状が扱われた後に本格的に必要となるプロセスである。
  • 患者の持つパーソナリティ傾向に働きかける用意がある。
  • 精神分析のトレーニングを経た治療者が、特権的にその治療を行う事が出来る。