クレイマーからの電話はしばしば、延々と続く。カスタマー対応の方はそれをこちらから切ってはいけないというルールをどこからか教えられて、通常の仕事を犠牲にしてまで聞き続ける。ひたすら謝罪のみの対応だから、クレイマーの要求はますますエスカレートし、口調も攻撃的になっていく。私たちは小さい頃先生や親から叱責されたことが一度ならずあるだろう。その時は気持ちが落ち込んだり泣き出したり、結構辛い体験をすることになるが、いい大人がこれを体験することになると、かなり辛いことになる。一種のトラウマになってもおかしくない。
私はアメリカはかなり暴力がはびこっている国だと思うが、それだけにその暴力を止めようとする装置も整っている。一定の大きさの組織や建物にはセキュリティがいる。まあ警備員といったところか。一定の大きさの病院やクリニックで何かあったらすぐに駆けつけてくれるセキュリティスタッフがいないということがない。そして誰かが暴力的になったり、声を荒げたとたんにセキュリティが呼ばれて登場するということになる。言葉の暴力、暴言はある意味でちゃんと暴力としてカウントされることになる。
わが国では実際に暴力が振るわれる事案は、おそらくアメリカよりずっと少ないが、そのためにそれを処理する装置もずっと未分化だ。そしてそれは小さな暴力、暴言の深刻さを問わずに放置するということに繋がる。
そのような日米の文化の違いを感じるような体験があった。
「お・も・て・な・し」は受けて当然
私はモンスター化の問題は、日本人のサービス精神とも深く関係していると思う。
私は日本にいて思うのだが、日本人の顧客に対する扱いはかなり丁重である。私自身が日本人だから、当たり前のことだと思うのだが、顧客のニーズに合わせて商品を改善しようという意図が欧米では極めて希薄だという印象を持つ。私が最初に暮らした外国はフランスだったが、そこで精神科の所見用紙を見た時のショックを忘れない。レターヘッド以外は真っ白な白紙なのである。あとは書く人が適当に行間隔を取って書きなさい、という態度だが、書く身になってこれほど不便なことはない。罫線くらいつけてくれてもいいはずだろう?字はグニャグニャ曲がってとても整然となんて書けない。地下鉄に乗っても電車が止まるところはバラバラで乗る人のことを考えていない。電車は駅に近づいても、次の駅名を告げない。もう30年も前のことだから今は変わったかもしれないが、利用者のことを考えないという程度は徹底していた。それとの比較で言えば、利用する側のことを徹底的に考え、サービスする日本社会の特徴は、私たちには普通でも、世界のレベルでは飛びぬけているらしい。