2017年3月21日火曜日

精神療法の強度 推敲 ④

スペクトラム上の「強度」と実質的な「強度」
 この表を見ながら考えていただきたいことがあります。それはこのスペクトラム上の「強度」はいわば形式的なものであり、実質的な「強度」とは異なるということです。つまり週回でも実質的には「弱い」治療もあれば、二週に一度でも非常に「強い」治療もありうるということです。週回でも非常に退屈でかわりばえのないセッションの連続であったりします。頻回に会う関係は、しかしそこでの親密さを必ずしも保証しません。冷え切った夫婦の関係を見ればわかるでしょう。毎日数時間顔を合わせる関係が継続するうちに、逆にコミュニケーションそのものが死んでしまうこともあるわけです。逆に二週に一度30分でも強烈で、リカバリーに二週間かかるということはありうるでしょう。そのセッションで一種の暴露療法的なプロセスが行われた時には十分にありうることです。治療者のアクが強い場合もそうかもしれませんね。ただしその二週間のリカバリー期間も十分なサポートが必要になるでしょう。あるいは極端な話、一度きりの出会い、このスペクトラムで言えば0.01くらいの強度に位置するはずの体験が、一生を左右したりします。そのようなことが生じるからこそ精神療法の体験は醍醐味があるわけで、週一度50分以外は分析ではない、という議論は極端なのです。私の知っているラカン派の治療を受けている人は、20分くらいのセッションが終わってから「あとで戻ってきてください。もう一セッションやりましょう」などと言われることがあるそうです。一日度、一回二十分という構造など、このスペクトラムのどこにも書き入れる事が出来ません。でもそれも治療としてある社会では成立しているということが、このスペクトラム的な考えを持たざるを得ない根拠となります。