2017年2月7日火曜日

錬金術 ⑧

「仮置き」という名の禁じ手

ところで小保方さん事件の後、私はなぜ研究の捏造が行われるのかについて興味を持ち始めた。小保方さんの「スタップ細胞」をめぐる一連の事件、そして某有名大学の医学部で生じている論文の不正に関する報道を目にしながら、私は今、恐ろるべき可能性について考えている。科学論文って、案外不正の巣窟なのではないか?データの改ざんは、私が想像していたよりはるかに頻繁に行われているのではないか? 
しかし考えてみれば、高知能、社会的な適応を遂げたはずの人たちの多くが脱税や贈収賄などの罪を犯すことは周知のとおりである。ということは犯罪行為は一般の人でも容易に行われうるということなのだろうか?私たちはそれほど反社会性を備えた存在なのだろうか?
論文の不正のテーマに戻るならば、科学論文はその気になれば、いくらでもデータの改ざんが出来るのではないかと疑ってしまう。なぜならば、データの信憑性を最終的にチェックする方法がないからだ。たとえ公正を期するために、「科学論文には、ローデータとして実験ノートの提出が必要である」という決まりを作ったとしても、そこに数字を書き込むのは当事者なのである。すべての実験過程で特定の第三者が目を光らせるなど、ありえない話だ。
それにしても私は最初、犯罪者でもない人たちが、どうしてありもしないデータをでっち上げて論文を作ることができるのかがわからなかった。論文を書く人たちは高い知能だけでなく、当然世間の常識や通常の倫理観は備えているだろう。どうしてそのような人たちが窃盗や万引きまがいの罪を犯すのだろうか?

この問題を考えていくうちに、いくつか納得のいく事情を知ることができた。これもまた報酬系の問題なのである。その決め手となったのが、データの「仮置き」という行為だった。ある論文を書くとき、仮説の通りのデータが得られた場合を想定し、その仮想的なデータを組み込んだ論文を作成する、ということがあるらしい。それをデータの「仮置き」というそうだ。ある大学での論文捏造が問題になった時、「仮置き」を誤って本当のデータと見なして論文を書いてしまった、と説明された。あってはならないことだが、「仮置き」を弄ぶ習癖が生まれたらどうだろう?「マイクロサイコパス」のレベルの通常人が、ついつい犯してしまうような、通常の自己欺瞞の範疇に、これが入り込んだら?