今日はここら辺を推敲。オードリーの話が出てきた。
昔こんなことがあった。アルバイトで勤務していた精神科病棟の主任看護師はオードリー(仮名)という中年の黒人女性だった。彼女はいつもニコリともせず、冗談が通じないとは思っていたが、与えられた仕事はきっちりしていたので、あまり気にしないでいた。ところがある日私がナースステーションにあったボールペンをポケットにしまおうとするのを目ざとく見つけ、「先生、それは病院の備品ですよ。」と注意してきたのである。私は最初オードリーが冗談を言っているのだと思い、「そうだね、泥棒になっちゃうね。」とおどけて言ったが、オードリーはニコリともせず、大真面目である。実は私はその日筆記用具を忘れてきていて、ナースステーションのペン立てに無造作に入っていた安物のボールペンの一本をカルテ記載に使った後、そのまま拝借して別の病院に向かおうとしていたのだ。まだオードリーの大真面目さに気が付かなかった私は「じゃ、貸してもらうということでよろしくね。」ところがオードリーは姿勢を変えない。「ドクター、それはいけません。備品の持ち出しは禁止されています。」私がこの20年以上も前のエピソードを、オードリーの名前や表情を含めて覚えているのは、彼女の融通の利かなさがあまりにも印象的だったからである。不思議なことであるが、私はオードリーを人生であった最も倫理的な人、として記憶しているわけではない。むしろこれまでで一番印象深い人たちの一人として思い出されるのである。