2017年2月13日月曜日

錬金術 ⑭

神経ネットワークと快感、審美性

これまでに述べたことは、ひとことで言えば「脳の神経ネットワークは、その興奮それ自身が快感を生む傾向にある。」ということだが、シンプルな提言の割にこの意味は深い。曲そのものは時間と共に徐々にその興奮箇所が進行するような神経ネットワークを脳内基盤としていることになる。それがある種の形式を持ち、そこにある種の審美性を感じさせるときにそれは緩やかな、あるいは場合によっては強烈な快感を呼び起こす。
その際この神経ネットワークの興奮が快感を伴うための条件がある。それはそれが適度の新奇性 (novelty すなわち目新しさ)と、適度の親密性 (familiarity それにどれだけ慣れているか) の両方を備えていることである。新奇性+親密性=興奮、というわけだ。たとえば先ほどのG線上のアリアは、初めて聞いた時は新奇そのものであろう。しかし長くのばされたE音(ミ)の背後のコード進行についてはもちろんどこかで聞いたことがある。だからある程度の親密性も保障されている。それに何度かこの曲を聴いて行くうちに、そのこと自体がこの曲に対する親密性を増していく。しかし繰り返して聞いていくうちに、当然ながら新奇性が失われて行き(つまり「飽きて」しまい)、親密さの要素だけが残り、快感は薄れてくる。
ただし「使い古した」G線上のアリアの神経ネットワークが、新たな新奇性を付加されたなら、また上の「新奇性+親密性」=興奮の法則を満たすようになる。例えばバイオリン以外の楽器で演奏されたり、ジャズ風にアレンジされたりしたなら、また新奇性と親密性が適度に交わり、報酬系を興奮させることになる。いわゆる「カバー曲」のコンセプトだ。

ところである神経ネットワークが快感とともに体験され、また別のものは不快として体験されるという傾向については、ある程度の一般性がある。つまりある人にとって心地よい曲は、別の人にも心地よい可能性が高くなる。だから流行が生まれるのだ。ではどのような神経ネットワークが、より多くの人の報酬系を刺激するのだろうか? この問題は美学や認知心理学にもつながる問題だが、それが黄金比率に従っていたり、対称性を含んでいたり等の条件を満たし、そこに加える新奇さの匙加減がかかわっているのであろう。