精神分析学会が終わった。11月の3,4,5と広島市で開催されたのだ。分析学会は私が唯一フルで出席する学会である。気がついたらもう20年以上も、フル参加を続けている。今回もいろいろ考えさせられたが、やはり印象的だったのは、そこは独特の空気が流れる空間であるということだった。「ある前提」が支配している感じがある。そしてもちろん私もそれに影響を受ける。その前提とは、患者のファンタジーにも言動にも、転移的な意味があるということだ。
抄録を読むと、定番のターム、表現が並んでいる。これがないと精神分析ではない、といわんばかりに。投影性同一視、分裂排除、患者の攻撃性、転移の解釈・・・・。あたかもそれ以外の路線は精神分析ではないかのようだ。
最後の日のシンポジウムは夢がテーマであった。クライエントが持ち込む独創的で意外性に富む夢。それをいかに巧みに解釈するかが問われる。もちろんその夢を見たクライエント自身が持つ連想も論じられる。しかしその夢の内容が印象的であれば、当然その内容に揺り動かされ、それに様々な意味を付与し、あるいは読み込みたくなる。議論自体はとても刺激的であることは確かである。しかし少し気になるのは、それがある意味では治療者のナルシシズムの反映でもありうるということだ。だって、夢がどのように構成されるかはまったく不明なのに。(作曲家にとってメロディーがどうやって構成され、降ってくるかはまったくわからないのと同じだ。)
分析として正しいこと、その真理を追うことがやはりクライエントにどのように還元されるのかという認識がやはり弱い。分析を志すものとしていかに正道を歩むかが問われる。しかしどうして夢、なのであろうか?どうして転移なのか?いや、夢や転移は大切なのはわかる。しかしどうしてそれだけになってしまうのか・・・・。
今回の学会がいつにも増して盛況だった一つの原因は、ちょうど中日(なかび)である4日に行われた広島カープの優勝パレードである。そのために平和大通りに一時大幅な交通規制が行われた。私も人ごみにまぎれて遠くから天井のないバスに乗り込んだ選手たちを目にすることが出来た。
カープファンは私には信じられないような熱狂振りで選手に声援を送る。精神分析の学会に集う若く優秀なセラピストたちも同様なのだろうか?私はおそらくその熱狂には最初からついていっていない。それでいてよく20年以上も出席するものだ。私も実は「隠れ」分析ファンなのかもしれない。
会場では旧知の和田秀樹先生にも会った。多作の彼からまた著作を一冊いただいた。医師のつく嘘についての面白い本であった。彼は実はカープファンで著作まで出していることを知らなかった。彼もまたそれなりの分析のファンとして会場を訪れたようだった。
分析学会は、来年は名古屋でまた11月に開かれる予定である。