退行の現代的な意義
初めに
現代の精神分析において、退行という概念はどのような意味を持ち、いかなる臨床的な意義を有するのかについて考えたい。最初に言葉の定義から見てみよう。
フロイト及び自我心理学における退行
退行の概念は Freud にはじまることは言うまでもない。小此木啓吾は精神分析における退行の概念について、以下のように記している。
「退行は,それまでに発達した状態や,より分化した機能あるいは体制が,それ以前のより低次の状態や,より未分化な機能ないし体制に逆戻りすることをいう。Freud,S は,失語症の研究(1891)を通して,この Jackson,J. H. の進行 evolution と解体 dissolution の理論から影響を受け,退行は,精神分析によって観察された現象を説明する基本概念の一つになった。」(小此木、精神分析学事典、岩崎学術出版社)
Freud の第一の関心事は精神の病理性であった。そして精神病理が一種の先祖がえり、進化の逆戻りと考える Jackson の概念は当時の「変質」の概念ともあいまって Freud に強い影響を与えていた。Freud はその後リビドーの固着と固着点への退行という概念を発展させ、ヒステリーでは近親姦的な対象への退行,強迫神経症では肛門段階への欲動の退行, うつ病では口愛段階への欲動の退行が起こると考えられた。すなわち Freud にとっての退行は、病理の成立過程の説明手段でもあったのである。
Freud はこのような図式を終生持ち続け(続精神分析学入門、1938)、それはそのままの形で Anna Freud に受け継がれたが、そもそものリビドー論の衰退とともに忘れ去られる運命にあった。Freud 及び Anna Freud における退行は、このように治療にとっての抵抗と考えられていたことである。その意味で Anna Freud が、その抵抗として自我の前にまず退行を提示していることは興味深い。(A.Freud 自我と防衛機制)フロイトは退行という言葉を用いていないものの、転移の退行形態が障害物となることを叙述している(バリント、P162)
自我心理学の流れの中で、退行の概念に一つの広がりを与えたのが、Ernst Kris のARISE(自我のための適応的な退行)という考え方であろう。Kris はフロイトの「抑圧の柔軟性 Lockerung der Verdrangung」 (1917)の概念を手がかりに、自我による自我のための一時的・部分的退行 temporary and partial regression in the service of ego」と進展の概念を提示した。病的な退行は不随意的(無意識的),非可逆的で自我のコントロールを失った out of control of ego退行であるが,健康な人間の酒落,ウイット,遊び,性生活,睡眠,レクリエーション,その他の退行は随意的(前意識的)可逆的な自我のコントロール下 under the control of ego の退行であるという。中でも,芸術的創作過程で働く昇華機能と結びついた「自我による自我のための一時的・部分的退行」はシェーファーSchafer,R. (1954)によって創造的退行 creativeregression」と呼ばれる。以上述べたものは米国の自我心理学の退行理論として分類されよう(以上、小此木からの引用は赤字)。
その後退行概念の真の価値は、対象関係論において臨床に結び付けられた際に発揮されることとなったといえるだろう。英国の独立学派のBalint,M.や Winnicott,D. W. は,それらの代表といえる。Balint は,「基底的欠損 The Basic Fault (1968)」の中で,ある患者はほとんど全体的な退行状態を示すことなく治癒していくが,ある患者たちは全体的な退行状態に陥る。その中には,退行状態の後再び成長を始める患者群(良性の退行の形態 benign form of regression)と,快楽に対する要求が際限なく起こり,治療的に扱えなくなる患者群(悪性の退行の形態 malignant form regression)があるとして、良性の退行は,外傷体験の時期よりも以前の無邪気な状態 arglos に回帰でき, 一次的な関係 primary relationshipに退行し,新しい出発を始め,新しい発見へと向かうが,悪性の退行は,絶望的なしがみつきに陥り,止まることを知らない要求や欲求を抱き続けて,嗜癖的な状態になり,新しい出発に達することができない。Balint は,一部の患者が深い悪性の退行状態に落ちる理由として「基底的欠損」という前エディプス期,特に口愛期の対象との依存葛藤が,環境との関係で適切に解決されていない基本的な障害があるためであるという。Winnicott は,退行を環境、とりわけ母親に対する依存への退行と見なし,ある患者は治療の途中で「真の自己 true self」が突然出現して,乳児の状態まで退行し,治療者も母親としての役割をとらざるを得ず,分析者としての立場を維持できなくなることがある (パリントのいう悪性の退行) が,患者の中には一時的に退行を示して成長していく,いわゆる発達をもたらす退行状態を示すものがあり,その退行は治療的に有意義で,治療者がそれを受容し,いたずらに解釈せず,患者が成長するまで,患者とともにいて待つことの重要さを唱え,基本的にバリントと同様の意見を説いている。(赤字小此木)
Freud の第一の関心事は精神の病理性であった。そして精神病理が一種の先祖がえり、進化の逆戻りと考える Jackson の概念は当時の「変質」の概念ともあいまって Freud に強い影響を与えていた。Freud はその後リビドーの固着と固着点への退行という概念を発展させ、ヒステリーでは近親姦的な対象への退行,強迫神経症では肛門段階への欲動の退行, うつ病では口愛段階への欲動の退行が起こると考えられた。すなわち Freud にとっての退行は、病理の成立過程の説明手段でもあったのである。
Freud はこのような図式を終生持ち続け(続精神分析学入門、1938)、それはそのままの形で Anna Freud に受け継がれたが、そもそものリビドー論の衰退とともに忘れ去られる運命にあった。Freud 及び Anna Freud における退行は、このように治療にとっての抵抗と考えられていたことである。その意味で Anna Freud が、その抵抗として自我の前にまず退行を提示していることは興味深い。(A.Freud 自我と防衛機制)フロイトは退行という言葉を用いていないものの、転移の退行形態が障害物となることを叙述している(バリント、P162)
自我心理学の流れの中で、退行の概念に一つの広がりを与えたのが、Ernst Kris のARISE(自我のための適応的な退行)という考え方であろう。Kris はフロイトの「抑圧の柔軟性 Lockerung der Verdrangung」 (1917)の概念を手がかりに、自我による自我のための一時的・部分的退行 temporary and partial regression in the service of ego」と進展の概念を提示した。病的な退行は不随意的(無意識的),非可逆的で自我のコントロールを失った out of control of ego退行であるが,健康な人間の酒落,ウイット,遊び,性生活,睡眠,レクリエーション,その他の退行は随意的(前意識的)可逆的な自我のコントロール下 under the control of ego の退行であるという。中でも,芸術的創作過程で働く昇華機能と結びついた「自我による自我のための一時的・部分的退行」はシェーファーSchafer,R. (1954)によって創造的退行 creativeregression」と呼ばれる。以上述べたものは米国の自我心理学の退行理論として分類されよう(以上、小此木からの引用は赤字)。
その後退行概念の真の価値は、対象関係論において臨床に結び付けられた際に発揮されることとなったといえるだろう。英国の独立学派のBalint,M.や Winnicott,D. W. は,それらの代表といえる。Balint は,「基底的欠損 The Basic Fault (1968)」の中で,ある患者はほとんど全体的な退行状態を示すことなく治癒していくが,ある患者たちは全体的な退行状態に陥る。その中には,退行状態の後再び成長を始める患者群(良性の退行の形態 benign form of regression)と,快楽に対する要求が際限なく起こり,治療的に扱えなくなる患者群(悪性の退行の形態 malignant form regression)があるとして、良性の退行は,外傷体験の時期よりも以前の無邪気な状態 arglos に回帰でき, 一次的な関係 primary relationshipに退行し,新しい出発を始め,新しい発見へと向かうが,悪性の退行は,絶望的なしがみつきに陥り,止まることを知らない要求や欲求を抱き続けて,嗜癖的な状態になり,新しい出発に達することができない。Balint は,一部の患者が深い悪性の退行状態に落ちる理由として「基底的欠損」という前エディプス期,特に口愛期の対象との依存葛藤が,環境との関係で適切に解決されていない基本的な障害があるためであるという。Winnicott は,退行を環境、とりわけ母親に対する依存への退行と見なし,ある患者は治療の途中で「真の自己 true self」が突然出現して,乳児の状態まで退行し,治療者も母親としての役割をとらざるを得ず,分析者としての立場を維持できなくなることがある (パリントのいう悪性の退行) が,患者の中には一時的に退行を示して成長していく,いわゆる発達をもたらす退行状態を示すものがあり,その退行は治療的に有意義で,治療者がそれを受容し,いたずらに解釈せず,患者が成長するまで,患者とともにいて待つことの重要さを唱え,基本的にバリントと同様の意見を説いている。(赤字小此木)
対象関係論における退行
<以下に、Winnicott, Balint, 土居、松木 と論じよう。>
Winnicott の退行理論
Winnicott は退行を治療の根幹に据えたという点で極めて特徴的である。Winnicott 理論の骨子はある意味では至極単純である。それは幼少時に親からの侵害を受けることで偽りの自己が生じるということであり、治療はそれが形成される時期までさかのぼることと不可分であると考える。そして「分析過程での重要な特徴はすべて患者に由来する」とする。つまり治療において治療者は必ず何らかの失敗をするが、それ自体が患者の無意識の希望を刺激し、過去の侵襲の状況が転移的に再現されるというのだ。患者は解釈という分析の言語的な介入を利用できないので、抱えるというマネージメントが必要になる。しかし同時にWinnicott は「分析家が患者に退行してほしいと望むべき理由などない。あるとしたら、それは酷く病的な理由である(1955)とも言っているすなわち治療者が「患者を退行させよう」というのは邪だというわけだ。なお北山は、今から20年以上前の著書で、みずから Winnicott の退行理論について、それへの戸惑いも含めて紹介している。