2016年10月28日金曜日

退行 ⑮

ここで筆者の考える退行の概念について論じたい。退行の概念は、精神療法への応用において最も意義を有する。松木(2015)の指摘するとおり、退行の概念には一者心理学的なニュアンスがあり、二者心理学や関係性の文脈に位置する転移概念とは異なる。そのために退行は発展的に転移の概念に吸収されるべきであるという立場もあろう。
ただしここで退行の生じない転移関係もありうるということを心得ておきたい。極端な例を挙げるならば、治療者が表情を変えずに黙って話を聞いているだけなので、怖い父親のように思える様になり、治療者はそれを父親転移とみなして解釈した、という例はどうだろう? これも立派な転移及びそれに引き続く転移解釈といえるであろうが、このままの治療関係ではどこにも着地の仕様がないであろう。なぜなら治療のある時点で患者が「先生のことを、初めは怖いお父さんと同じように感じていたんですよ。」と心の裡を話せるような関係性の成立は必須となるからである。そしてそこではある種の親しみと安心感、リラックスした状態の成立を意味し、それを表現する用語としては結局「退行した状態」が当たらずとも遠からずということになる。ただしそれはバリントの分類では、良性の退行と分類すべきものということが出来る。
 治療が促進するときに治療者が漠然と抱いているのは、治療者患者の双方にとって安心感が生まれ、患者にとっては自分の感情やファンタジーの表現が危険ではなく、受容されるという感覚が生まれることである。ところが問題はそれにふさわしい用語が見つからないことである。そしれそれが過去への回帰では必ずしもないにもかかわらず、あたかもそれを想起するような退行という概念がいまだに有用である理由がそこにあるのである。いわば退行とは象徴的な表現であり、それそのものではない。その意味で私が提案するのは、新しい「退行」の概念であり、そこでは幾つかのことが行われる。
(特に治療者に対するものを含む)感情やファンタジーの表出が安心して行われる状況の成立すること。実はこれは土居の「甘え」が生じる環境と言い換えてもいい。
 結論として退行の概念は以下の点を留意しつつ注意深く用いることで、治療的意義を保持するというのが筆者の考えである。
第一には、これまで何人かの識者が指摘したとおり、あくまでもそれは関係性の中に位置づけられなくてはならないという点である。
 第二には、退行という概念は、必ずしも患者の生育プロセスの早期に遡るということを意味しないということである。退行により至った状態は、実は患者が実際には体験したことがない状態でありうる。