2016年10月22日土曜日

退行 ⑩

退行概念の今後について
 最後に結論めいたことを述べるならば、精神分析における退行の概念は、いかなる治療状況において治療が促進するかを論じるうえで極めて有用となる。そこで対象関係論的な退行理論が示していたのは、ある種の早期の母子関係に由来するような、支持的である種の遊びが許容されるような関係性が治療を促進するという考え方である。ただしそれがその人の成育歴上の早期の段階への回帰と考えるべきかについては、その根拠は定かではないであろう。仮に早期の母子関係への回帰が生じたとしても、そこでの環境の失敗のやり直しというニュアンスがあるにせよ、実はその是正すべき環境はかつて起きたことはないという矛盾が生じる。その基本的な過ち basic fault が起きた時点にまで立ち戻る、とはどのようなことを意味するのか? 問題はその時生じなかったことを補足、回復させることであるとしたなら、それは退行ではなく、それこそバリントの言う「新規撒きなおし」ということになりはしないだろうか? でも待てよ、撒きなおし、といういい方が、一から戻って、というニュアンスだが、そうではないのだ。起きていることはむしろ、記憶の再固定化、というところがある。そしてそれが治療的に作用するためには安全な環境の提供ということがある。
治療が促進するときに治療者が漠然と抱いているのは、治療者患者の双方にとって安心感が生まれ、患者にとっては自分の感情やファンタジーの表現が危険ではなく、受容されるという感覚が生まれることである。ところが問題はそれにふさわしい用語が見つからないことである。そしれそれが過去への回帰では必ずしもないにもかかわらず、あたかもそれを想起するような退行という概念がいまだに有用である理由がそこにあるのである。いわば退行とは象徴的な表現であり、それそのものではない。その意味で私が提案するのは、新しい「退行」の概念であり、そこでは幾つかのことが行われる。
(特に治療者に対するものを含む)感情やファンタジーの表出が安心して行われる状況の成立すること。実はこれは土居の「甘え」が生じる環境と言い換えてもいい。