アンナ・フロイトの伝記をわけあって読み続けているのだが、1923年にオットー・ランクとフェレンチが「精神分析の発展the development
of psychoanalysis」
を書いたあたりから、ランクがグループを脱退する姿勢を見せ始めた頃は、フロイトに代わってランクに怒りを向けていた。
「アンナはランクという名前が挙がっただけで頭に血が上っています。Anna spits fire when the name Rank is procounced.」EYB p149
一方ではアンナは父親には逆らえず、confidant 「心を打ち明ける聞く相手」であるアイティンゴンにはようやく「手紙が遅いです!」などと愚痴を言うことができた。
このアンナ・フロイトで起きていることはどういうことか?他人に代わって恥を感じ、また恥をかかせた人に起きるという現象である。こうなると自己愛の問題なのか、という気もするが私たちも日常生活でよく体験する。テニスの錦織君が試合で相手から中傷され、恥をかかされたとしたら憤慨するだろう。これは自己愛の怒りといえば言えないことになるが、実は恥をかかされたのは私自身ではない。すると私が錦織君にどこまで同一化するかにより、いかに「あたかも自分が馬鹿にされたような気がする」かがわかるだろう。でもそれが異常とは限らないだろう。ただしアンナ・フロイトに起きていたことは、父親との献身的な同一化という厄介な問題だった。何日か前のブログで、彼女は「愛他的な降伏」として、一つの防衛機制として論じている。フロイトはこれを
「他者のための撤退 retiring in favor of another」といったというが、 これをやったのであろう。(EYB p212)ちなみにこの "retiring in favor of another" は、検索をいくらかけても出てこない。結局 EYB のこの本での解説部分しか引っかからない。まさか彼女のでっち上げということでもあるまいし。
Toward the theory of “Dissociation with capital D” ⑥
I consider that the
reason why Freud so much loathed the notion of dissociation is because he was
dealing with two antithetical topics,which cannot be coordinated by their
nature. One is drive theory and the other is that of multiple external factors
affecting human mind. To deal with both factors simultaneously, theory of dissociation
was not suitable. Here is the reason. First of all, Freud was by nature a drive
theorist. He cannot think about human mind without drive as its motivating
force (hence the notion of “drive”) This theory is inherited to Freud from
traditional theory of mind, bating back to Mesmer’s animal magnetism, or even
further before, such as Hippocratic notion of humorism. Humorism posited that an
excess or deficiency of any of bodily fluids affects human’s mental condition. Freud’s theory of
libido is considered to be right on the track of humorism, with his peculiar
spin of sexual theory.
On the other hand,
he maintained the theory of sexual trauma, even after he “abandoned” the
so-called “seduction theory”.