第14章 みがかれた報酬系と偉大な魂
ホセ・ムヒカ氏の話
(写真は省略)
(写真説明)ムヒカ氏の誇り高き軽装ぶり。副大統領と財務相を両側に従えて。A proudly underdressed Mujica is flanked by his vice president
(left) and finance minister at a 2013 government ceremony. (AP Photo/Matilde
Campodonico)
ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領の話から始めよう。このテーマにぴったりの人だ。百聞は一見にしかずである。まずこの写真。2013年のウルグアイ政府の式典で、この姿である。いいなあ。こんな老人になりたいものだ。周囲に失礼に思われないか、も含めてぜんぜん気にしていない感じ。しかしさすがに大統領になると他の人に気を使う必要はないのだが、この人、オバマさんにあってもプーチンさんに会ってもノーネクタイだったという。
読者は報酬系とどう関係があるのかと思うだろうが、実は大有りである。報酬系も成長し、成熟する。精神修養により洗練され、磨かれもする。報酬系のあり方はその人そのもの、といってよい。質のよい、ハイレベルの報酬系は教養と知性の裏づけがあって初めて出来る。そしてそれは自分にとっても他者にとっても大切なものである。ムヒカ氏の魂は、その例といって良い。
「磨かれた報酬系」、と題したが、私のイメージする報酬系の偉大さとは次の様なものである。それは将来の快、不快を敏感かつ正確に予期する。その快も不快も基本的には自他が共有する性質のものである。それが達成 (または回避) されるための筋道もよくわきまえている。ただしその結果については大きな感激や失望は伴わない。歓喜の涙にむせぶことも、絶望して死にたくなってしまうこともない。人間としてどっしりしていてブレず、つまりやたらと一喜一憂せず、かつ人にも優しい。
私はこの種の偉大な魂の片鱗を持つと思える人に出会ったことがあるが、彼らは他人を特に恨まないし自己愛におぼれることもない。淡々としているのである。「過剰な期待をしない」がその人を特徴付ける重要な性質の一つなのだ。もちろん彼は周囲に向けて主張をするし、期待もする。でもそれが受け入れられないときの失望は、ある程度予期されているので、一瞬で終わる。だから失望させられた相手への怒りも、起きたとしてもすぐ止む。「あ、そうか」ですぐにして考えを変えることが出来る。
もう少し具体的に書こう。偉大な魂は、たとえば快を得るためにAという方針を持ち、その実現に向けて動くとしても、それがかなわなかったときの代替的な方針Bも用意してある。だからAが実現しないことは少なくとも尾を引くような形で苦にはならない。また方針Bを用意しないほどにAの実現を確信していたとしても、それが叶わなかったとしても ”It’s not the end of the world”. (それでこの世がなくなるわけでもないし)。とあきらめることが出来る。では本当にAをあきらめきっているかと言えば、実はそうではないところもまた彼がフクザツでかつしぶといところある。
もう少し具体的に書こう。偉大な魂は、たとえば快を得るためにAという方針を持ち、その実現に向けて動くとしても、それがかなわなかったときの代替的な方針Bも用意してある。だからAが実現しないことは少なくとも尾を引くような形で苦にはならない。また方針Bを用意しないほどにAの実現を確信していたとしても、それが叶わなかったとしても ”It’s not the end of the world”. (それでこの世がなくなるわけでもないし)。とあきらめることが出来る。では本当にAをあきらめきっているかと言えば、実はそうではないところもまた彼がフクザツでかつしぶといところある。
Aが実現しない場合にその人が比較的平静でいられるのは、Aのデメリットを心得ているからであろう。Aがたとえかなり純粋な喜びであるとしてもそうであろう。例えば政治家を目指して立候補する。当選する場合(A)それによる利得はそれ相当に大きいものであろう。しかし彼はそれにより失うもの(平穏な生活、自分の家族や趣味に使える時間とエネルギーなど)をも予測している。すると落選はある意味では安堵すべき事態でもあったりする。いずれにせよどちらが生じても、”It’s not the end of the world” なのである。そしてこれは、当選した場合に自分に起きる事態を理想化したり夢見たりすることを抑制することにもつながる。