第6章 報酬系-遂行を促す脳内システム
パンクセップの「探索システム」
報酬系とは一体何か? 生物の進化の途上のどこで出来上がって、どのように進化に貢献してきたのであろうか? 本書はその問題と格闘しつつ論を進めているところがあるが、それについて一つの答えを提案しているのが、ヤーク・パンクセップという分析家である。
彼は「探索システム seeking system」という概念を提唱している。以下は「ニューロサイコアナリシスへの招待」(岸本寛史編著、誠信書房、2015年)を参考にして論じよう。彼は探求システムというものが人間の心に備わっているという。それは最も基本的な情動指令システムであり、探求する対象に関しては、あらゆるものが該当するという。そしてそれが従来は「報酬系」と呼ばれたものだとする。そう、パンクセップによれば、探求するシステムこそ、報酬と深く関連しており、いわば報酬と探求ということは同義だと考えられているのである。実際に報酬系は特定の対象を持たず、ただその満足を追い求めるシステムなのだ。第4章で、私は「報酬系という装置」を思考実験で作ってみた。その時はその装置は生存を目的としたものだったが、結局は報酬系と同一のものという結論に至った。パンクセップの説はこれとは出発点が異なるが、対象を探索するシステムは結局報酬系であるという。何かを探索するというシステムは、そこに快という報酬を考えざるを得ないからということだ。
パンクセップは探索を促すシステムの具体的な神経回路を示すならば、それは中脳の腹側被蓋野(VTA)から前頭葉へと投射される中脳皮質系と、VTAから側坐核へと投射するドーパミン作動神経・・・・・ということになり、結局は報酬系の場所ということになる。
生命体の驚くべきことは、この脳のごく一部の報酬系を興奮させるために、あらゆる行動が構成されるということである。これが存在することで、捕食や生殖行動が可能となる。この仕組みは考えれば考えるほど不思議であり、かつ複雑である。それは同様のプログラムを人工知能に作ることを考えればいいであろう。
ヤーク・パンクセップは言う。このシステムにより、動物は世界を探索し、求めているものを見つけると興奮する。それらとは食物であり、水であり、温かさであり、最終的にはセックスである。このシステムの興奮により人は好奇心を持ち、知的な意味でさえ探索をするのだ。(だからこれを探索システムと名付けたというわけである。)
この探索システムは下等動物、たとえばアメフラシなどにも存在するという。アメフラシは水の中で負の走光性を示し、暗い方に向かおうとする。パンクセップの概念の面白いところは、この快ということと、世界を探索し、自分の居場所を探すということを結び付けているというところだ。彼は快感中枢の刺激を求めてレバーを押すラットも、報酬系と回路が重複するOCD(強迫性障害)も、同じようなコンセプトから説明できるという。ただし後者のOCDの場合は、探索が上手く行かずに、ある種のループに嵌っているということが特徴であるという。その場合には肝心の快感が消失していることもまた特徴といえる。
ちなみに報酬系と強迫との関連については、Sarah-Neena Kochという学者が示唆的な提案をしている。彼女によれば、報酬系の刺激に関する行動と、強迫行動はどこかとても似ているというのだ。少なくとも脳に刺激を与えるべくレバーを叩き続けるネズミは強迫とそっくりだというのだ。自己刺激をしているネズミは、快感を得ているというよりは、追い立てられた状態に近いという。何かに夢中になり、駆り立てられ、それ自身は心地よくなく、ただただ上り詰めていく状態。ネズミを使って強制的に泳がせるという実験があるが、そのような時もやはりドーパミンが大量に放出されている。一種の探索が起きている状態である。そしてパンクセップによれば、快感とはむしろドーパミンが低減していくプロセスに関係しているという。探索が行き着いた先、というわけか。(MyBrainNotes™.com)
パンクセップが探索システムとの関係で述べていることはまさに報酬系の問題である。彼は探索システムに介在するドーパミンは「そそる状態 appetitive
state」には関係していても、「ガツガツ貪り状態 consummatory
state」には関係していないということだ。探索は、「あ、あそこに餌があった。やった!」に関係はしていても、その餌にありついて貪り食っている時にはもう低下している。このことはすでにドーパミンシステムの不思議な振る舞いとして私たちが知っていることである。さらにもう一つ重要な指摘を行っている。それは探索システムはまた、嫌悪の回避にも関係しているということだ。つまり生命体は不快を避けようとさまよっている(これも一種の探索なのだ)時にも、ドーパミンが活発に活動しているというのだ。