2016年8月4日木曜日

推敲 4 ③


「サバイバル装置+感情」は事実上報酬系である

さてここまででCエレのチップの中身は分かったが、まったく置き去りにしているのが、Cエレ君の感情の問題である。たとえばCエレ君が紺色マットに遭遇して、大量の電気を貪っている時、どこかに喜びや快感を感じる必要はあるのだろうか? あるいは高温マットに焼かれるときの痛みはどうだろう? そして高い力価を持った充電マットを視野の中に感知した時の「やった!」感は?近くに恐ろしげな高温マットを感知した時の背中のゾクゾク感は? Cエレ君はそれらの感情を持つ必然性はあるのであろうか? これは報酬系について探求を行っている私たちにとって極めて本質的な問題なのだ。
ここで電源マットに遭遇した瞬間にCエレのチップ内で起きることをもう一度見てみよう。そのマットが意外に蓄電量が多く、Cエレ君はコーフンする。先ほどその存在に気が付いたときに査定した力価は2+だった。すると彼はその力価に似合った力強い尻尾のひと振りにより、そちらに推進を開始するだろう。つまりプラスの力価の査定とは、結局「尻尾の一振りを引き起こすような体験」と単純化できないだろうか?そして電源マットに到着し、その電力をむさぼっている最中なら尻尾は振られてはならないだろう。今は大事な時間だし、その場を動くわけにはいかない。これは第●章の動的快、静的快と極めて似た体験と考えられるだろう。
こんどは不快のことを考えよう。今高温マットに焼かれているかわいそうなCエレを想像しよう。彼は尻尾の反対方向への一振りは、今こそ起こさなくてはならない。このまま留まっていると、焼き殺されてしまう。そしてもしそれを遠くから察知した場合も、力価3-くらいを検出したらやはり反対方向に尾の力強いひと振りが生じるだろう。すると電源を貪っている瞬間と焼かれている瞬間では決定的な違いがあることがわかる。前者はそこにそのまま留まる。
結論から言おう。Cエレの行動は電源を察知した時にはそこへ向かうという運動をし、それに到達し、そちらに向かっての尻尾のひと振りを促す。そしてそれに到達したらそこを動かずに電源をむさぼる。またCエレは高温減を察知したり、遭遇したらそこから逃げる。この動きはまさに、報酬勾配におかれたCエレガンスや私たちの動きと同じなのだ。その時Cエレは快感や苦痛を体験しているかって? それは知りようがない。快、苦痛は主観的体験であり、その実体はない。幻のようなものだ。おかしいだろうか?この痛みや心地よさが幻だなんて。しかしこれはようするにクオリア問題なので、結論が出せないことはもうわかっている。(というかクオリア論争には容易に結論が出せないことを皆が知っている。)快、苦痛とは実はそういうものである。「夕日の赤い色」の、あの「赤い」体験と、結局は一緒に論じざるを得ないのだ。ただ一つ言えることは、Cエレをさらに自然に近づけること、すなわちエネルギーを電力ではなく、カロリーに置き換え、実験室の代わりに自然環境に置き換え、そこで多彩なCエレ、その兄弟たちを想定し、そこで生き残るための行動を想定したら・・・・。CエレはCエレガンスになるしかないだろう。
Cエレは快、不快を感じているかと問われれば、私は「わからない」と答えるであろう。実際に主観の世界は確かめようがないのだ。しかしもちろん私なりの仮説はある。自然界の複雑さを加味していった場合、CエレはCエレガンスに近づき、さらには爬虫類、哺乳類に近づいていくであろう。しかしどれほど複雑になっても残っていくのが、サバイバル装置の基本的な性質である。それは未来におけるプラスとマイナスの力価の査定が可能であるというものである。この存在は決してなくならないのは、そもそもこの力価がサバイバルにとって促進的なのか、疎外的なのかにしたがって定義されているからだ。そしてそれは本書で扱う報酬系と事実上同等なものと考えると一番合理的なのである。サバイバル装置は生存に直接かかわるものであり、また報酬系も、それが特殊な薬物などによりハイジャックされるのでなければ、その個体の生存にとって必須となる。
しかしサバイバル装置と実際の報酬系で、その動作に差があるとすれば、それは大部分が本章で想定した自然環境がまだまだ単純化されたものであるからであろう。
実際の自然環境はどうか?まず電源マット、すなわち報酬が動き回る。そしてその報酬自体がCエレの兄弟、あるいは別の生命体(Dエレ?Eエレ?)であることが多い。そして高温マットもまた動く。それもまた別の生命体であることが多い。すなわち電源マット、高温マットは結局は別の固定された(植物)、ないしは動き回る(動物)生命体である場合が多い。その結果として予測や記憶の能力はさらに決定的な要素となる。
さらにこのモデルには目を覆うべばかりの単純化が施されている。つまり繁殖を省略しているのだ。生命体の変化、複雑化に、実は生殖は絶対的に重要な意味を持つ。個体として生存することより、子孫を残して死ぬ方が、その種にとっては意味があったりする。繁殖は、種全体としての生存、と言い換えてもいい。そして報酬系は種の保存のために特定の個体を死滅の方向に誘うこともありうるのだ。