2016年7月6日水曜日

いろんなハイがある ②

(ランナーズハイの続き)

人が走ることに快楽を見出すことは疑いない。東京マラソンに何万と応募する人々の多さを考えればいい。体を動かすことは苦痛であると同時に大きな快楽の源泉になる。子供が駆け回る様子を見ても、子犬がじゃれ合っているのを見ても、それが純粋な快楽の源泉になっていることを見て取ることは決して難しくはない。私がかつて示した快楽の原則、すなわち「脳のネットワークの興奮は、それ自身が緩徐に報酬系を刺激する」という原則をここで思い出して欲しい。単細胞生物が走性をすでに発揮している時点で、パンクセップの言う探索モデルが働いている時点で、動き回ることそのものがデフォルトとしての快楽を提供することは、生命体の運命として定められていたのだ。
 ある高名な博物学者が言った言葉だが、「生命体は、動きたくなければ植物になればよかっただけの話なのだ。」というわけである。報酬系を持たない植物は、報酬勾配に従った動きをする必要もなく、したがって動きを封印されている(必要としていない)というわけである。(←この「高名の博物学者」は、私のでっち上げである。告白しておく。私がテキトーに書いた。)
ちなみにランナーズハイに関連して論じられたβエンドルフィンはおそらくあまり根拠がないであろうと最近では言われている。βエンドルフィンが実は血液脳関門を通らない。体でいくら発生しても脳には行きつかないという。むしろ関係しているのは、脳内マリファナ物質であるという。エンドカンナビノイド(anandamide など)という物質である。要するにマリファナ成分だ。ネズミを一日数時間走らせると、人工的にランナーズハイを起こし、明らかに痛み刺激に強くなるが、このカンナビノイドをブロックするとその効果が無くなってしまうだろう。
頭の中で、何か大阪のおじさんの声が聞こえてきた。「なんや、マラソンやっている人たち、自前のマリファナやってたんかー!」
いやいや、決してマラソン人達に他意はない。