射幸心という名の悪魔
たかが釘、されど釘
「射幸心」という言葉を聞いたことがあるだろうか?英語では「ギャンブリング・スピリット」( gambling spirit、ギャンブル魂)とか言うらしいが、それでは雰囲気が出ない。思わず賭けてみたくなる、賭け心をそそられる、ということだ。「射幸心」とは字通り考えれば、幸福という的(まと)を矢で射抜きたいという願望ということになるが、そこにアヤしいギャンブルのにおいがある。射幸心は私たち人間が持つ根深い願望であり、ギャンブルの胴元はそれを巧みに刺激して、ギャンブラーたちを破滅への道に誘いこむのだ。いったいこの射幸心とは、報酬系とどのように関係しているのかを考えよう。
わが国では、ギャンブルといえば、パチンコや競馬である。これらの公営ギャンブルは、「遊戯」ということになっているようだ。だから公営ギャンブルという呼び方も正式なものではなく、公営競技というらしい。(遊戯などとよくも言ったものである。)
呼び方はともかく、ギャンブルが、本当の意味での「遊戯、競技」とどこが違うのかを、人は考えたことがあるだろうか?それは射幸心が介在しているか否か、ということになる。それでは射幸心とは何か?
わが国では、ギャンブルといえば、パチンコや競馬である。これらの公営ギャンブルは、「遊戯」ということになっているようだ。だから公営ギャンブルという呼び方も正式なものではなく、公営競技というらしい。(遊戯などとよくも言ったものである。)
呼び方はともかく、ギャンブルが、本当の意味での「遊戯、競技」とどこが違うのかを、人は考えたことがあるだろうか?それは射幸心が介在しているか否か、ということになる。それでは射幸心とは何か?
身近な例から取り上げよう。パチンコは日本に特有の「遊戯」であり、もちろん単なる遊びにはとどまっていない。年間200万円も300万円もそれにつぎ込む「ヘビーユーザー」たちが産業を支えているともいう。その業界で最近問題になっているのが、「クギ曲げ問題」であるという。簡単に言えば、釘の間隔をペンチか何かでビミョーに操作することで、射幸心を増すという違法行為だ。私もこれまで2,3回くらいならパチンコをやったことがあるのでわかるが、球を弾いて台の頂上付近で落下させようとする。その一番著上にある穴が「中央入賞口」だというそうだ。そこに入ると大当たりだが、その周辺に玉がたいてい逸れる。すると運が良ければ小口の「一般入賞口」に入り、それ以外の大部分の球はどこにもカスらずに台の下まで落ちて、中央の穴から吸い込まれていってしまう。
さてパチンコ台の頂上にある「中央口」と「一般口」(長たらしいからこう呼ぶことにしよう)に玉が入る確率は業界で定められていて、それを満たすような釘の間隔というのが存在する。要するに中央口の入り口付近の釘は、その間隔が狭いためにそこに入りづらく、一般口のそれは少し広いから入りやすい。ところがパチンコの業者はそれを勝手に曲げてしまい、「中央口」に入りやすく、「一般口」には入りにくくする。するとパチンコを打つ側の心理としては、「ダメもとだが一発勝負」になりやすく、それが格段に「遊技者」のやる気を引き出す。そしてこの「やる気」こそが射幸心というわけだ。
ではどうして警察もそのような題を規制しないかということであるが、実はパチンコ台を検査する「保安通信協会」には警察OBが入っているというのだから、検査がアマくなるのは当然と言わなければならない。
ちなみにこの問題が深刻なのは、レジャー白書によると、パチンコにおける1人当たりの平均消費金額は1989年が年間50万円ほどだったのに対し、2014年は年間300万円ほどと約6倍に跳ね上がっているという事情があるからであるという。そして少なくともその一部には釘曲げ(正式には「釘調整」という)という本来違法な行為が関与しているという。
釘を調整することで、中央口だけ入りやすく、一般口が入りにくいという操作が、どうして射幸心を増すかは、おそらくピンとこないだろう。私も来ないが、おそらくしばらくパチンコを打っているうちに、体感できてくるのだろう。理屈では説明できなくても。そしてそこには確かに脳科学的な根拠があるのだ。
負けるほど熱くなる