2016年7月22日金曜日

精神療法 ⑤

「心の動かし方」の3つの留意点

1.バウンダリー上をさまよっているという感覚
さてミット打ちの比喩、症例A,Bと紹介してきました。そしてやはり私の「心の動かし方」は構造を内包している、という言い方をしました。しかしよくよく考えると、私はその構造をいつも微妙に崩しながら元に戻す、ということをしているような気がしてきました。バウンダリーという見方をすれば、私はその上をいつもさまよっているのです。境界の塀の上を、どちらかに落ちそうになりながら、バランスを取って歩いている、と言ってもいいでしょう。そしてそれがスリルの感覚や遊びの感覚や新奇さを生んでいると思うのです。これは先ほどのミット打ちにもいえることです。コーチがいつもそこにあるべきミットをヒュッとはずしてきます。あるいは攻撃してこないはずのミットが選手にアッパーカットを打ってくるふりをします。すると選手は起こったり不安になったり、「コーチ、冗談は止めてくださいよ」と笑ったりする。おそらくそれはミット打ちにある種の生きた感覚を与えるでしょう。
あるいは実際のセッションで言えば、私は

(中略)

私とBさんはそんな関係を続けているわけですが、この種のバウンダリーのゆるさは、仕方なく起きてくると言うよりも、実は常に起きてしかるべきであるというのが私の考えです。言葉を交わしながら、私は同じようなバウンダリーをさまよっています。実はバウンダリー上の揺らぎこそが大事なのであり、そこに驚きと安心がない混ぜになるからなのです。そう、週一回、50分、と言うのはその上をさまようべき境界のほんの一例に過ぎないのです。

2.「決めつけない態度」もやはり治療構造の一部である
もう一つは決め付けない態度、ということです。

(中略)

私にとって決めつけないというのは構造の一つです。それはスパーリングで言えば、そこに遊びはあっても、基本的にはミットが選手の痛めている右わき腹を攻撃したり、アッパーカットを打ち込むということはありません。まあミットで打たれてもダメージはたかが知れているでしょうが。その安心感があるからこそ、そのそぶりはスリルにつながるのでしょう。

3.やはりセルフエスティームか?
私は心の動かし方のルールとして、やはり来談者のプライドとかセルフエスティーム、自尊心を守るということを考えてしまいます。ヘンリー・ピンスカーという人の支持療法のテキストに書いてありましたが、支持療法の第一の目的は患者の自尊心の維持だといっています。私もその通りだと思うのは、彼らの自尊心を守ってあげることなしには、彼らは自分を見つけるということに心が向かわないからです。ですから私がAさんやBさんとやっていることが、ただ彼らに支持的にふるまっているわけではないということをわかっていただきたいと思います。