2016年4月16日土曜日

嘘 ⑥


今、ここまで書いてきたことを読み直してみた。うーん。なんとなくバラバラだなあ。毎日思いつきで書いているからしょうがないか。でも何とかまとめなくてはならない。英語で言えば、tie the loose ends. 話の帳尻を合わせる? 結局こんなことを書きたかった。OBさんを見て感じるのは、嘘をついているときは、その世界に浸って、夢を見ているような感じ。ファンタジーの世界だ。他方ではそれが現実でないことを知っている。だから記者会見では笑顔が消えている。もし彼女が妄想を抱いているとしたら、その世界の構築のために様々な虚構が重なり、しかもそこにとっぴな面が垣間見られるために、話を聞いているだけで記者会見場がざわつくはずである。たとえば目の前の記者を指差して、「ほら、あなたは今私に悪意の電波を送っているでしょう・・・・」などとなり、そこで記者会見は終わってしまっただろう。
しかしそうではなかった。ファンタジーを、ごくわずかな嘘を維持することでそのまま残そうと必至になっていたのだ。すなわちファンタジーの世界が維持できるために必要な事実の歪曲について、それをどのように維持するか、どのような嘘を重ねるかを熟知し、計算していたことになる。それだけ彼女は「正気」だったのである。
どうして、それとホーシューケーが関係しているかって?そうだろう。読者としては当然聞いてくるだろう。でも私はやはりここにそれが関係していると思うからこの著書(ナンの事だ?)の一生に入れようとしている。それは嘘が快感な場合は、人の理性を捻じ曲げるからだ。というより理性とは、感情、もっと言うと快感に従った行動に理由付けをするようなものなのである。(もちろんその理由付けのロジックそのものに従うことが快感になる場合もあるから、要注意。ある種の信念、信心、理論、教義など。) そしてその嘘を維持するために必要なのがスプリッティングという心の仕組みである。それに浸っているときに、現実を横においておくことが出来る仕組み。もちろんすべての私たちがその能力を与えられているわけではない。でも結構普通の人でも生じているのを見かける。このことに対してはなぜか意見を曲げない、明らかにおかしいとわかっているはずのファッションにこだわる、など。
さて嘘が維持されるためには、それがとてつもない、アリエないものであっては困る。現実に突き当たって、あるいは罪悪感にさいなまれて、できないからだ。それではスプリッティングが維持できなくなる。しかしそこにもうひとつの狡知がある。それがアリエティが述べている、「希望的盲目willful blindness」というやつだ。これは昨日縷々説明した問題だ。そして私が至った結論。自分の虚偽や悪事による影響との心的距離が増し、それを体感しにくくなればなるほど、抵抗や罪悪感が減少する。 あとはその虚偽や悪事は快楽的になり、その人により維持されるのだ。
なんだ、結構まとまっているではないか。でも最後の部分を補足したくなった。たとえば彼女がこう言っているということは紹介した。

図表加工が改竄を疑われるとは「思いもしなかった」
私は学生時代に、バンドの濃さで示される量ではなく、バンドの有無を論文の図表で示す場合には、曖昧ではなく明確に示すべきだと指導を受けたことがあり、あるか、ないか、を見やすく加工することが改竄を疑われる行為だとは思いもしなかった。 

なんかそら恐ろしいロジックである。彼女の説明には、実は同じようなにおいがする。私なりに「翻訳」してみる。
「(スタップ細胞が存在するという前提に立つと)後はそれをどうやって信じてもらえるか、である。ならわかりやすい手法がいいではないか。その場合には借りてきた写真でもいい。だってUFOが存在するという真実を皆にわかってもらうためには、夜空にぼんやりと写ったUFOの写真よりも、たとえば灰皿を空中に投げてそれを写した写真を提示した方が、形がハッキリしていてわかりやすいではないか。UFOが存在するのが真実なのだから、そのような小細工は本質に影響はないし、当然許されるはずだ。」

これも「虚偽や悪事による影響との心的距離が増し、体感しにくくなる」例に当てはまるが、それは図表を改ざんした論文を同僚や上司に見せたときの反応がそれに相当する。「あるある、みんなやってんだから・・・」と彼女は想像したに違いない。というか「そのような指導を受けてきた」、と主張することはそれを意味している。とするとこの世界には常識なのかもしれない。それにしても「思いもしなかった」とは・・・・。