2016年4月1日金曜日

報酬系 ⑱


報酬系が教える人間の幸福

これまで述べてきたことは、ある重要なメッセージを含んでいる。人の不幸のかなりの源泉は、誘惑や願望を抑えつつ生活することである。欲望や願望を満たすことのできるものが身辺にあり、無制限に手を出すことが出来るとき、それを抑えて生産的な活動に浸るには、相当の忍耐力と勇気が要る。
人類が生まれてから、99.9%は、電気も水道も、冷房も暖房もない環境での生活だった。水を一杯飲むのみも、近くの川に水を汲みにいっていた時代に、「蛇口をひねればすぐに水が出てくるのに・・・・」という不満はありえなかった。その時代には火をおこすのに100円ライターが手元にないことを不幸に思う気持ちもなかった。しかし急に無人島での生活を余儀なくされた現代人は、縄文人なら体験したことのない不幸に突き落とされてしまうのである。
鎮痛剤にまみれたアメリカ人の生活。安定剤や眠剤がふんだんに手に入った日本。でも人はその効果にすぐに慣れてしまい、今度はそれが足りないことに不満を抱くようになる。それともどこか共通しているのだ。
 しかし耐え忍んだ痛みを鎮痛剤で救われたという体験、不眠が嘘のように解決した体験を持つ人はまた違うかもしれない。それらの薬に一度は助けられたという記憶が残っているからだ。ところがそれ以降の世代は違う。それらの薬はすでにあり、ちょっとした痛み、ちょっとした不眠に処方されて「ああ、こんなときはこの薬を飲めばいいんだ」と思うだけだ。ちょうど「外でのどが渇いたらコンビニでミネラルウォーターを
100円で買えばいいんだ。」と知る現代の子供のように。ものの「有難み」はこうしてほとんど感じられずに生活を送るのだ。
ただしその現代人だって、おそらく100年後の人間なら悩まないことに悩まされる。癌の発症や転移におびえる。事故で半身不随になったり、黄班変性症で視力を失ったりする。100年後の医療ではおそらく解決してしまうようなこれらの疾患に悩まされる。数百年後(もし人間がそのときまで生きていれば、であるが)なら地震や噴火の予知も可能かもしれない。すると地震や津波におびえるという生活からも解放されるのであろうが、現代の私たちはそれらの脅威におびえつつも、「なぜ政府は地震の予知を正確に伝えなかったんだ!」という苦情の電話はかかってこないのである。