2016年3月30日水曜日

報酬系 ⑯

そう、私自身は享楽的ではなく、むしろすごく臆病である。悪い友達から「シャブをやらないか?」と言われても、絶対に手を出さないタチである。そういう人間に限って「不埒な夢」を見るのだ。

報酬系は慣れていくことを生業にしている
なぜ報酬系はこんな意地悪をするのか。これは痛み止めや眠剤により恩恵をこうむる私たちが当然すぎるほど同然持つ疑問であり、不満であろう。
報酬系は慣れてしまう。これは報酬系の持つ、ありがたい、そして決定的に不幸な性質でもある。原因としては二つ考えられる。ひとつは、感覚器自体の性質であり、もう一つは報酬系そのものの性質である。肌触りのいいカーペットに手を当ててみよう。ふかふかでいい気持ちだ。ところがそこに手を置いておくだけとすぐに何も感じなくなる。手を動かすことで感覚器からの肌触りが連続して脳に伝わる。見た瞬間に美しいと思える絵画。もし目を固定してしまうと、おそらく何ら視覚情報が脳に伝わらなくなってしまい、何を見ているかすらわからなくなるだろう。聴覚情報も全く同じだ。感覚器はそこに連続的に異なる刺激が加わることで初めて報酬系に訴えかけるようになる。
そうしてもう一つが報酬系そのものの持つ、慣れとしての性質である。いかなる刺激も、「イニシャル・ハイ」の後は色褪せていく。コカインやアンフェタミンを初めて試した時の強烈な快感は、その人の一生を変えてしまうだけの効果を持つ。人はもう一度あの快感を得たいと繰り返し薬物を用いることになる。これをイニシャルハイの追跡とchasing of initial highと呼ぶが、もう二度と同じ形では得られないのである。
もちろんこれには但し書きが付く。最初の体験がピークに達しなかった場合には、それはイニシャル・ハイとは呼べないであろう。報酬系をドーパミンが満たし、そのリセプター(受容体)のすべてを刺激するに至らなかったら、その快感はピークとは言えない。残念ながら鼻から吸引したくらいではそのレベルには達しない。コカの葉っぱを数枚噛んだくらいでは、それよりはるかに下のレベルである。それらの人はコカインを静脈から注入することで、さらに高い快感を得ることになる。そちらがイニシャル・ハイを提供するだろう。問題はしばらくしてまた同じ量のコカインを静注したとしても、それに至らない。それはどうしてだろうか?
二つの可能性が考えられる。あまりのドーパミンの量に驚いたシナプスが、そのリセプターの数を減らす。いわゆる下向き制御 down regulation だ。しかしこれにはタンパク合成のプロセスを含み時間がかかる。もう一つは、神経細胞が焼き切れてしまう可能性だ。本来神経細胞は、あまりに興奮すると、カルシウムイオンが流入し、アポトーシス(細胞の自然死)を起こしてしまう。つまり快感を与えてくれる細胞が死んでしまい、もはや快感を以前ほど得られなくなってしまうという問題が起きてしまうのである。