2016年1月22日金曜日

入稿一歩まえ(2)

何しろこれにかかりっきりになっていたからねえ。

解離の理論との関連

精神分析におけるトラウマ理論を論じるうえで、近年目とみに論じられることの多い解離に関する理論に触れておく必要があるだろう。その先導者ともいえるDonnel Stern Phillip Bromberg の著書はすでに邦訳も入手可能である(Stern, D.,2010, Bromberg, 2011) 。
Bromberg によれば、解離は基本的には正常心理においても生じ、それはたとえば物事に夢中になった一意専心のような状態であるが、深刻な解離はトラウマへの反応として位置付けられる。そして従来の精神分析における抑圧は不安に対する反応であり、抑圧理論のみに基づく場合には、患者が葛藤を経験できていないような外傷的な状況でさえ、常に精神機能を組織化しているように考えることになり、それが古典的な分析理論の限界であると論じる。彼の立場からは、葛藤への防衛が必ず解釈により解決するという姿勢そのものもまた問題となる。
Bromberg はまたトラウマを発達上のいわば「連続体」としてのそれ、すなわち「発達トラウマ」としてもとらえる。この発達トラウマはまた、発達早期に親から受け入れられ、必要とされるという体験のそれが欠如することにも関係する。彼はこの主のトラウマ(traumaを、性的虐待や暴力などに代表される、大文字のトラウマ Trauma と区別する。この発達との関連で Bromberg はまた、解離とメンタライゼーションとの関係についても論じ、Peter Fonagy John Allen などの研究者による業績と自分の治療論を非常に近い位置においている。
このように Bromberg の立場は基本的にはトラウマモデル、ないしは欠損モデルのそれであり、そして彼が主として依拠するのは Harry Stuck Sullivan の理論である。すなわち解離において生じるのが Sullivan の概念化した「私でない自己状態 not-me」として概念化されているのである。その意味で、Bromberg ブロンバーグの彼の解離理論はトラウマ理論と対人関係学派との融合というニュアンスがある。
Stern Bromberg の解離の議論に特徴的なのは、その機制をエナクトメントの概念と絡めて論じる点である。エナクトメントは二者的な解離プロセスであり、そこでの解離は患者だけではなく治療者をも包む繭のようなものとして表現される。そしてそれを治療的に扱う分析状況として Bromberg が提唱するのが「安全だが安全すぎない」関係性であるという。つまり早期のトラウマを、痛みを感じながらもう一度生きることを可能にする関係性なのである。Bromberg はまた治療技法のひとつとしてFreud の「自由にただよう注意」(Freud, 1912)に注目する。これは Freud が「強制的な技法」ではない自由な技法として提唱したが、これが患者の言葉の意味を見出すという作業にとってかわることにより、後世の分析家たちにとってはその目的を果たさなかったという。しかし関係精神分析的な「聞き方」とは、「絶えずシフトしていく多重のパースペクティブ」に調律することで、それは両者によるエナクトメントにも向けられるという。
Bromberg の解離理論は、すでに新しい精神分析の行先を見越し、そこに解離と心の理論、愛着、脳科学などがキー概念として統合されることを提唱していることが特徴である。ただ彼が扱う解離は、健忘障壁を伴う精神医学的な「解離性障害」とは異なるという印象を受ける。

トラウマ理論と愛着理論

最近のトラウマ理論との関連でぜひ触れておきたいのが、「愛着トラウマattachment trauma」の概念である。この概念を提唱しているのが、臨床家でもあり脳科学者でもある Allan Schore 博士である(Schore, 2009)。
Schore は乳児が生後の一年間で、母親と乳児の間できわめて重要なコミュニケーション、彼が言うところの「右脳間でのコミュニケーション」が生じ、そこで精神生物学的な意味での調律が行われるとする。この時期に乳児の大脳皮質は十分発達してはおらず、今後の発達を支える意味でのグラウンドワークが、母子間で行われるのだ。そこでは匂いや音、皮膚感覚などを通して、大脳辺縁系でのコミュニケーションが行われ、乳児の覚醒レベルが維持されていく。そこで大切なのは、刺激が大きすぎず、少なすぎずということであり、母子が情緒的に同期化していることである。もしそれが起きないと、母子間で一種の情緒的な衝突、彼が「間主観的衝突」と呼ぶものが生じ、それが乳児の情緒不安定の成立の妨げにつながる。Schore はこの深刻な事態を愛着トラウマと呼び、その後の様々な情緒的な問題や解離症状につながると論じる。
 
この愛着トラウマの際に生じる自律神経の過覚醒状態について、Schore はこれを最近の Stephen Porges polyvagal theory Porges, 2001)と関連付ける。この理論によれば、副交感神経系には腹側と背側の二種類があり、腹側迷走神経は、通常の日常体験において働き、適応につながる。しかし極度のストレス下では背側迷走神経という、いわばアラーム信号に匹敵するシステムが働き、低覚醒状態、痛み刺激への無反応性といった解離症状が生じるためのメカニズムが発動するのである。
この Schore の議論の背景にあるのが、精神分析における愛着理論の歴史である。John Bowlby により始まる愛着理論は、Mary Ainsworth (1970) らのストレンジシ・チュエーション・パラダイムの研究を経て愛着のタイプ分けの研究につながったが、その後継者 Mary Main らが新たに提唱したのが、いわゆるタイプ D の愛着である(Main, M., & Solomon, J. ,1986)。このタイプD では非常に興味深いことが起きる。タイプA, B, Cにおいては、ストレンジ・シチュエーションにおいていったん退室した母親が子供の元に戻ってきた際に、子供はしがみついたり、怒ったりという、比較的わかりやすいパターンを示すが、タイプDの子供は混乱と失見当を呈する。Schore は、それを解離性の反応とし、それを愛着トラウマと結び付ける。このパターンを示す子供の親はしばしば虐待的であり、子供にとっては恐ろしい存在なため、子供は親に安心して接近することが出来ない。逆に親から後ずさったり、他人からも距離を置いて壁に向かって行ったりするということが起きるのである。
 このように Schore はトラウマの理論を愛着の失敗ないしは障害としてとらえ、それを上述の解離理論とも結びつけて論じているのである。そして特定の愛着パターンが解離性障害と関係するという所見は、時には理論や予想が先行しやすい分析的なトラウマや解離の議論にかなり確固とした実証的な素地を与えてくれるのだ。
 
トラウマ理論は「誘惑的」か?

最後に精神分析における最近のトラウマ理論に対する批判的な見方についても触れておこう。Reisner は「トラウマ:誘惑的な仮説」という論文(Reisner, 2003)で、昨今のトラウマ理論への批判を展開する。彼はトラウマ理論においては、トラウマはいわば病原のように取り除かれるべきであり、他方の患者は被害者であり、特別な存在であるというナラティブが支配的になっているとする。そしてその背景には政治的な意図が見えるという。その文脈で Reisner が紹介しているYoung2001)の論文は、DSM-III (1980) の作成委員会において、戦闘兵を犠牲者として扱い、障害者年金を獲得することのできる存在として位置付けるべきとの議論があったという。そしてそのためには「戦争神経症」という診断はふさわしくなく、「トラウマを受けることによる反応」というニュアンスの診断、つまりPTSDが必要であったという。そしてそれがこの概念の大きな成功を生んだのである。
 Reisner は現在のトラウマ理論には、自己愛の問題が絡んでいるという点も指摘している。米国では、トラウマは崇高な位置を得ており、トラウマのサバイバーは権威を与えられ、尊敬のまなざしで見られる傾向にあるという。そしてトラウマの体験は、芸術家や創造者がなかなか得られないものを得ることを可能にし、トラウマストーリーにおいては、被害者は無知で純真であることが期待されている、とする。さらにトラウマの被害者は責任を逃れる事が出来、トラウマの犠牲者は一般大衆に代わって苦しみを背負っているとも論じる。そしてこのような考えの典型として、Davies ら(1994)の次のような文章を引用する。
「誘惑説は、患者の子供時代の現実の人々に見られる証拠に基づくものである。それは自分の自己愛的な満足を得るために子供を利用する大人を罰するものであった。エディプス葛藤は、それに対して子供時代の性的虐待は、子供自身の性的な願望によるファンタジーによるものだということを強調するのである。」
 そして中立性を守ろうとする分析家は、結果として被害者側の方に過剰に寄り添ってしまうと批判する。
Reisner は昨今のトラウマ理論が有するこれらの傾向自体が「誘惑的」であるとし、そこへの過剰な加担が精神分析理論の基本的な精神である無意識の意識化、ないしは洞察の獲得は異なる方向性を示していることに懸念を表明している。

最後に

現代の精神分析におけるトラウマ理論の占める位置について論じた。トラウマ理論が徐々に大きな位置を占めることには時代の要請があり、またそこには伝統的な精神分析に不足した視点を補う意味もあったと言えるだろう。しかしトラウマ理論にはそれに偏重した場合の様々な問題があることは、本稿で最後に触れたとおりである。私たち臨床家が、葛藤理論とトラウマ理論が真に臨床的な意味を持つ形でバランスを取りつつ、私たちの患者の理解に用いられることを願う。

参考文献

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