2016年1月19日火曜日

精神分析におけるトラウマ理論(仕上げ)5

トラウマ理論と発達理論

最近のトラウマ理論との関連でぜひ触れておきたいのが、attachment trauma (愛着トラウマ)の概念である。この概念を提唱しているのが、臨床家でもあり脳科学者でもあるAllan Schore 博士である(Schore, 2009)。
Schore は乳児が生後の一年間で、母親と乳児の間できわめて重要なコミュニケーション、彼が言うところの「右脳間でのコミュニケーション」が行われ、そこで精神生物学的な意味での調律が行われるとする。この時期に乳児の大脳皮質は十分発達していず、今後のその発達を支える意味でのグラウンドワークが、母子間で行われるのだ。そこでは匂いや音、皮膚感覚などを通して、大脳辺縁系でのコミュニケーションが行われ、乳児の覚醒レベルが維持されていく。そこで大切なのは、刺激が大きすぎず、少なすぎずということであり、母子が情緒的に同期化していることである。もしそれが起きないと、母子間で一種の情緒的な衝突、彼が「間主観的衝突」と呼ぶものが生じ、それが乳児の情緒不安定の成立の妨げにつながる。Schore はこの深刻な事態を愛着トラウマと呼び、その後の様々な情緒的な問題や解離症状につながると論じる。
 
この愛着トラウマの際に生じる自律神経の過覚醒状態について、Schore はこれを最近の Porges polyvagal theory 結びつける(Porges, 2001)。この理論によれば副交感神経系には二種類があり、腹側迷走神経は、通常の適応につながるが、ストレス下では背側迷走神経という、いわばアラーム信号に匹敵するシステムが働き、低覚醒状態、痛み刺激への無反応性を生む。こうしていわば解離が生じるためのメカニズムが発動するのである。
この Schore の議論の背景にあるのが、精神分析における愛着理論の歴史である。Bowlby により始まった愛着理論は、Mary Ainsworth のストレンジシ・チュエーション・パラダイムの研究を経て愛着のタイプ分けの研究につながったが、その後継者 Mary Main Solomon とともに新たに提唱したのが、いわゆるタイプDの愛着である(Main, M., & Solomon, J. ,1986)。このタイプDでは非常に興味深いことが起きる。タイプA, B, Cにおいては、戻ってきた親に対して子供はしがみついたり、怒ったりという、比較的わかりやすいパターンを示すが、タイプDの子供は混乱と失見当を呈する。これは虐待を受けた子供の80パーセントにみられるパターンといわれるが、Schore は、それを解離性の反応とし、それを愛着トラウマと結び付ける。このパターンを示す子供の親はしばしば虐待的であり、子供にとっては恐ろしい存在なため、子供は親に安心して接近することが出来ない。逆に親から後ずさったり、他人からも距離を置いて壁に向かっていったり、ということが起きるのである。
 このように Schore はトラウマの理論を愛着の失敗ないしは障害としてとらえ、それを上述の解離理論とも結びつけて論じているのである。そして特定の愛着パターンが解離性障害と関係するという所見は、時には理論や予想が先行しやすい分析的なトラウマや解離の議論にかなり確固とした実証的な素地を与えてくれるのだ。
 
Schore, A: Attachment trauma and the developing right brain: origins of pathological dissociation In Dell, Paul F. (Ed); O'Neil, John A. (Ed), (2009). Dissociation and the dissociative disorders: DSM-V and beyond., (pp. 487-493). New York, NY, US: Routledge/Taylor & Francis Group
Porges SW: The polyvagal theory: phylogenetic substrates of a social nervous system. Int J Psychophysiol. 2001 Oct;42(2):123-46.
Main, M., & Solomon, J. (1986). Discovery of an insecure-disorganized/ disoriented attachment pattern: Procedures, findings and implications for the classification of behavior. In T. B. Brazelton & M. Yogman (Eds.), Affective Development in Infancy, 95-124. Norwood, NJ: Ablex.)
Hesse, E., & Main, M. (2006). Frightened, threatening, and dissociative parental behavior in low-risk samples: Description, discussion, and i nterpretations. Development and Psychopathology, 1 8, 309-343.