2015年12月17日木曜日

フロイト私論(7)

ここ数日のブログの内容は、1998年の「恥と自己愛の精神分析理論」の内容と同じである。あまり修正する必要がないのだ。  

Hogarth 社の英語の「標準版フロイト全集」(Standard Edition)には、shame という言葉が出てくるのは90個所に及ぶ(Guttman, et al, 1980)。フロイトが恥をどのように論じたかを知るためには、これを一つずつ検討するという方法もあるが、これには注意が必要である。彼が実際に用いたドイツ語として Scham Scheu を考えた場合、これらの全てが標準版で shame として訳されているわけではないからだ。(他方 shame の原語をたどるとそのほとんどが Scham であることがわかる。)
 そこで逆の方向から、すなわちドイツ語の原著の索引で Scham, Scheu の出てくる個所を探して標準版と照合し、それぞれがどのような用い方をされているかという点から検討してみよう。もちろん恥として最も重要な Schande が用いられている個所についても論じたいが、さきほども述べたように、全集の索引にない以上探すことが出来ないし、フロイトの原著をつぶさにあたって Schande という語の出てくる個所を洗い出すという余裕は私にはない。そもそもフロイトがそれを用いることが非常に少なかったからこそ索引にも出てこなかったのだということが想像され、むしろその意味を考える事の方が重要である。
 早くも1886~1889年の間にフリースに宛てた手紙(草稿K)( Freud, 1896)には、フロイトが意図する恥 Schamのニュアンスがいくつか出揃った観がある。この手紙では、フロイトは恥を性的な体験に対する抑圧の根拠として、倫理観や「うんざりする感じ Ekel 」と共に挙げている。しかしこの手紙ではまた、恥を女性性と、そして恥の欠如を男性性と結びつけてもいる。それによれば、男女の差は思春期で決定的となり、男性はペニスを性感帯としたリビドーを持ち続けるのに対して、女性の場合はクリトリスが性感帯としての意味を失い、むしろ性的な嫌悪感を持ち始めるという。
 ここでのフロイトは、女性が性的な事柄に対する嫌悪を生じるのはむしろ疑問の余地のない当然のことと考えている。そしてフロイトが恥を女性性と結びつけ、恥の欠如を男性性と結びつける論述は、少なくともこの草稿の段階では、女性性に対する価値低下を意図したものであるという印象を与えない。むしろ社会通念として女性が性的なものに対して大きな抵抗や嫌悪を持つという理解がここに反映しているといえよう。
  1896年の「防衛の神経精神病に関するさらなる言及」(Freud1896)には、幼児期の性的行為に対する自己批判が、しばしば恥 Scham に変わるという記載がある(p.171)。そして恥 Scham は、本来は恥ずべきではない事柄(幼児期の性行為)に対する防衛として現れるという見解を示している(原文p.178)。これはそもそも恥の感情が、最初から存在するのではなく、ある役割を担って二次的に生まれてくるというフロイトの見解を示していることになる。この点はフロイトの恥に関する捉え方を知る上で重要である。 
 1900年の「夢判断」(Freud, 1900)では、子供時代には恥 Scham は体験されない、という趣旨の論述がみられる。それによれば、楽園で人が裸で平気でいられるのは、楽園がそもそも私たちが持つ子供時代についての集団幻想であるからだという。しかし恥 Scham と不安 Angst が芽生えて楽園を追放されることで、性的活動や文化的な活動が始まる(p.245)。恥はまた夜尿や、自分の裸を隠したい欲求と結びつけられている。しかしその裏にあるのは、無意識的な露出欲求であるとしている。
  この露出欲求と恥 Scham との関連は、さらに1905年の「性欲論三編」(Freud1905)で展開されている。ここでは、露出本能が満たされることへの障害として、うんざりすること Ekel 恐怖 Grauen、痛み Schmerz、道徳 Moral と同時に恥があげられている。ここで注目するべきは、フロイトは目を一種の性感帯として捉え、露出と窃視をそれに関連した欲動として考えたことである。そして恥はそれに対する防衛として説明されている。
 1908年の「性格と肛門性愛」(Freud, 1908)では、肛門エロティシズムが抑圧や昇華を受ける原因として、反動形成をあげているが、そこで再び出てくるのが、恥 Scham とうんざりすることである。恥を性的なもの、ないしは性器と関連づける傾向は、フロイトの後期ないし晩年の著作を見ても変わりない。1930年の「文明と不満足」(Freud, 1930)では、人間は直立歩行するときになり初めて恥を持つようになったとする。
 恥と女性性を結びつける傾向は、フリースへの手紙の時代から記載があったが、1932年の「新・精神分析学入門」(Freud, 1932)に至ってもその考えが維持されている。その一部を引用してみる。「 恥 Scham は女性的な特徴の最たるものと考えられるが、それは想像するよりもはるかに伝統に関するものであり、それは性器の Defekt(欠陥、欠如)を隠すものという目的を持っているものと考えられる。後に恥は別の機能を持つようになったことも私たちは知っている。女性は文明の歴史の中で、発明や発見をほとんどしていない様にみえるが、実はある技術を生み出したのは女性達のようである。それは編み物と、機織りである。もしそうだとすると、その無意識的な動機を考えたくなる。人間は成熟するに至って性器を隠すような恥毛を発達させるが、自然はこのようなことを生み出すことで、[編み物等の]技術が模倣すべきものを提供したのである。(p.132)」
 さて以上フロイトの用いた恥 Scham について論じたが、もう一つの恥 Scheu に関してはどうか? フロイトの著作を見る限り、Scheu は、その用いられている個所が Scham に比べて少なく、恥そのものよりはむしろ漠然とした恐れ、恐怖といったニュアンスを与えられている。標準版のフロイト全集でも Scheu shame ではなく、むしろ dread, aversion, horror, dislike といった英語に訳されている。そこでこの Scheu については、フロイトの扱った恥として特に考察の対象にする意味を見いだせない。
 以上を振り返れば、フロイトにおける恥とは、もっぱら Scham としての恥であるというキンストンの主張は妥当であることがわかる。それは発散されることを望んでいる性的欲動に対する防衛であり、その充足を阻止するような力ないし要素ということになる。そこには本来自己価値の低下というニュアンスを伴なわず、むしろ社会や文化が性的活動に対して課す抑制のための道具として捉えられた。これは Scham というドイツ語本来が持つ性的な語感(先述の Schambein 恥骨、Schamhaar 恥毛という表現が示す通り)と関連があるのであろう。ドイツ語を母国語とするフロイトは当然この語感にしたがったものと考えられる。そしてこのように一種の文化の装置として恥が捉えられた場合、それを体験することに特別の価値基準や病理性は与えられていないことになる。
 ところがフロイトが恥 Scham を女性に特有のものとして記述する際に限っては、明らかにそこに価値判断が持ち込まれてしまったという印象を受ける。女性が性的なものに対して恥じらいを見せやすいという観察を得たのは、フロイトに限っての事ではないであろうが、彼がそれを「器官劣等性」により説明しようとした際に、この価値判断が混入してしまったのである。そこでのフロイトの主張は、女性性器はペニスを欠いており、その意味で劣等な器官であり、従ってそれを人前にさらすことに恥を感じるというものである。これは先述の「新・精神分析入門」の記載を見れば明らかであり、ペニスには無条件にポジティブな価値が与えられ、それを欠いた女性性器は欠損 Defekt として表現されるべき、いわば恥ずべき状態として描かれているように感じられる。
 私自身はこの部分のフロイトの論旨にはついていけない気がする。 Scham を文化の所産と見なすという立場から、恥を女性性器に特徴的なものとするところに論理の飛躍を感じるのである。むしろ彼の言う通りScham が露出欲求への抵抗であるという論旨をそのまま辿るならば、最もそれが顕著な形となるペニスを有する男性こそ Scham を体験するという議論になりはしないか? この点に関しては、アメリカでの恥に関する研究の権威であるネイサンソン  もその著書(Nathanson, 1987)ですでに同様の見解を示していることを、私は最近になって知った。彼はその最近著(1992)で、男性が勃起という形で性的な興奮を隠すことが出来ない点で、女性よりもはるかに恥の感情を持ちやすいとし、恥は女性に特有の感情であるというフロイトの見解を否定している(同著 p.288)が、この考えには一理あると私は思う。