2015年12月6日日曜日

精神分析におけるトラウマ理論 推敲(2)


精神分析におけるトラウマの理論の発展は、ある意味では時代の必然と言える。それは精神分析理論の発展の歴史的な背景に起因していたともいえるであろう。フロイトは性的誘惑説を棄却したと考えられているが、その後の理論の発展の中で、再びトラウマの問題に取り組んだとみなすこともできる(岡野、1995)。しかし彼の堅持したリビドー論や欲動論的な視点は、いわゆる「葛藤モデル」に属するものであり、発達上のトラウマ要因を重んじるいわゆる「欠損モデル」とは袂を分かっていたというところがある。1970年代以降になり、PTSDや解離の病理が盛んに論じられ始めた時、精神分析は出遅れていたという感がある。しかし最近では関係精神分析におけるトラウマの議論のみならず、クライン派によるトラウマ理論も提出されている。ガーランド編 松木邦裕訳トラウマを理解する 岩崎学術出版社、2011Caroline Garland ed.Understanding Trauma: A Psychoanalytical Approach Karnac Books, London, 1998)
このことは次のようなKernberg の言葉にも表される。Kernberg 1970年、80年代に
BPDの病因論としてクライン派の考えに沿って、生まれつきの攻撃性を主張していたが、こう言っている。「私は生まれつきの攻撃性については曖昧でなくなってきている。問題は生まれつきの、強烈な情動状態への傾向であり、それを複雑にしているのが、攻撃的で回避をさそう情動や、組織化された攻撃性を引き起こすようなトラウマ的な体験なのだ。私は最近の身体的、性的虐待や身体的虐待を目撃することが重症のパーソナリティ障害の発達にとって有する重要性についての最近の発見の影響を受け、私ははるかにトラウマに注意を向けるようになった。私の中では考え方のシフトが起きたのだ…。」(Kernberg, O1995An Interview with Otto Kernberg. Psychoanalytic Dialogues, 5:325-363) At the same time, I'm less vague now in talking about inborn aggression; what we are talking about is an inborn disposition to intense, aggressive affect states, complicated by traumatic experiences that trigger aggressive or aversive affect and organized aggression. I'm paying more attention to trauma under the impact of recent discoveries about the importance of physical abuse, sexual abuse, and the witnessing of physical abuse in the development of severe personality disorders, particularly with the borderline personality disorder and the antisocial personality disorder. So there has been a shift in my thinking, and I believe that the common path by which genetic predisposition and trauma are linked is that genetic predisposition is expressed in neurohumoral control of activation of affects.

このように精神分析においてもトラウマへの注目がみられるが、それは精神分析がある種の進化を遂げて、21世紀に入ってやっとその域に達したのだろうか? 必ずしもそういうわけではない。むしろその流れは精神分析の歴史の中に既に存在しつつ、ある意味では傍流として扱われていたという事情がある。
精神分析の歴史を詳細に遡るならば、そもそもフロイトの中でトラウマというテーマがきわめて錯綜した扱いを受けていることがわかる。「ヒステリー研究」(1895)の段階では、トラウマや解離のテーマは、シャルコーやブロイアーの影響を受けたフロイト自身により扱われていた。しかしすでに同著の後半部分において、フロイトはブロイアーとの見解の違い、特にトラウマ状況により生じる「類催眠状態」の概念に同意できない旨を述べている。それに引き続き1897年秋のフェレンチへの書簡で、性的外傷説は彼の中で棄却をされたという経緯は知られている。しかしフロイト自身、「制止、症状、不安」(1923)においてトラウマのテーマ(「トラウマ状況」)を再び自らに取り入れる動きを見せた。ただしそこで想定されていたトラウマは、去勢への脅しという形をとり、子供たちが現実に直面する性的、身体的なトラウマに着目したというニュアンスはなく、また依然としてリビドー論に従った精神病理の説明を行っていた。
 こうしてフロイトはトラウマのテーマを全面的には取り戻さないまま、1930年代になると、あたかも「ヒステリー研究」の内容をより精緻化したフェレンチの発表に対して、フロイト自身が全力を持って公開を阻止したという経緯がある。

近年になり、フロイトの現実の臨床のあり方とその理論との著しい乖離が報告されているが(Lynn, D., Vaillant, G., 1998)ことから推察されるのは、トラウマの現実と精神分析理論との極めて錯綜した排他的な関係をフロイトが維持しつつ、である。分析理論とトラウマ理論が水と油である以上、結局それが取り込まれるのには、長い年月と、分析理論自体の根幹部分への否定が必要だったのだ。