2015年12月5日土曜日

精神分析技法という観点から倫理問題を考える(1)

はじめに
本章のテーマは、精神分析療法の技法という視点から、倫理の問題を検討することである。一般に精神療法家が備えるべき能力に関しては、そこに技法的な要素が存在することは間違いない。精神分析の歴史においても、しばしば治療技法が論じられてきた。しかし近年になり、精神分析の理論にはさまざまな発展や変遷が生じた。そしてそこに倫理的な問題が重要な要素として絡むようになり、分析的な治療技法を論じることは多くの複雑な議論を生むようになってきている。それは端的に言えば、技法を重んじることと、倫理的な原則を守ることとの間に整合性があるか、という問題をめぐっての議論である。

フロイトの精神分析における治療技法
精神分析においては、その創始者であるフロイト自身がいくつかの技法を提案した。そしてそのことが精神分析における技法の重要性への認識を決定的なものとしたと言える。精神分析の主たる目的は、患者の持つ無意識的な幻想や願望を解釈を通して明らかにすることとされた。そしてそれを目的とした患者とのかかわりは、通常の面接とは異なる特殊性とそれに伴う技法を必要としたのである。
 フロイトは精神分析の基本規則として、まず患者の側の「自由連想」および「禁欲規則」を挙げた。それらは後に匿名性、禁欲原則、中立性の三原則として論じられることが多い(Treurniet, N 1997)。これらのフロイトによる技法論は、歴史的に見ればその重要性が徐々に失われつつあるが、現在でも臨床家の一部には受け継がれているといっていい。
 フロイトによる技法論の展開について、もう少し細かく見ていこう。フロイトは、13の技法論を書いたことが知られる。それらは”Zur Technik der Psychoanalyse und zur Metapsychologie (5.という一冊に収められ、邦語訳でも一書フロイト著作集第9小此木訳、人文書院 1983年)にまとめられている。それらを読むとフロイトが精神分析を確立する過程の様々なプロセスも合わせてたどることが出来る。小此木はフロイトの技法論を手短に知るために特に3つの論文を挙げている。それらは「分析医に対する分析治療上の注意」2と「分析治療の開始について」3そして最も重要なものとして「想起、反復、徹底操作」4である(11
初期のフロイトの治療技法は、無意識内容の意識化という最も基本的な路線に沿ったものであり、また「夢判断」の段階では、夢内容の解釈を与えるのみで十分だと考えていたようである。しかしフロイトはやがて、それだけでは十分ではないという認識を得るようになった。それが患者の側の反復強迫などの抵抗の発見であり、その為に徹底操作抵抗の分析といった介入を考えるようになったのである。それが最も重視する論文「想起、反復、徹底操作」により一定の完成を見たことになる。
フロイトの展開した技法論は、その後何人かの分析家によりより詳細にまとめられた。フェニケルによる技法論Fenichel, O (1) や、わが国でもよく知られたMenninger, K治療技法論(10)は、そのような路線に従って書かれたものである。これらにおいては精神分析が治療法としてすぐれているという確信と、技法論の発展とは深く関係していたと言えよう。

フロイト以後の技法-「基本原則」と「経験則」
フロイト以降の技法論において生じた変化とはどのようなものだったのだろうか? それは匿名性、禁欲原則、中立性という原則に沿ったフロイトの技法をいかに遵守するかという立場から、実際の精神分析の臨床をどのように進めていくのか、その中でフロイトの技法をどのような形で運用していくのか、というテーマへの移行である。フロイト自身はこれらの治療原則を唱えた一方では、実際にはそれとはかなり外れた臨床を行っていたという数多くの報告がなされている(Lynn, 1998など)。この事情は端的に治療原則をそのまま臨床場面に当てはめることがいかに難しいかを表しているといえるであろう。実際の分析療法では、これらの原則が実際にはどのように運用され、臨床に応用されるのか、という議論への移行はある意味では必然であったともいえる。
1960年代の半ばに出版されたグリーンソンのテキスト (6) は最も広く読まれた精神分析のテキストのひとつといえるが、そこに収められた技法には、現在においても臨床場面に応用できるものが多く含まれている。それらの多くの中からたとえば抵抗の扱い方に限定していえば、「抵抗は、その内容に入る前に表層から扱う」とか「転移の解釈は、それが抵抗となっているときに扱う」などの記載がある。ただしこれらは、技法というよりもむしろ分析療法を進める上での経験則ないしは教訓ととらえるべきかもしれない。
 一般に精神分析的な技法と呼ばれるものには、フロイトの述べた技法論およびそれを敷衍したものと、実際に分析療法を進める上での経験則ないし教訓といったものに分けられよう。そこで本稿ではこれらを「基本原則」と「経験則」という呼び方を用いて分けて論じることにする。
 「基本原則」とはフロイトが技法論の中で述べたものであり、本来の精神分析が行われる上で守られるべきルール、という意味である。それに比べて「経験則」としての技法とは、「このように考え、あるいは進めることでより効果的な治療を行うことができる」という臨床経験の蓄積から得られた教え、「それを守ることが効果的であることが知られている」ものという意味を持つ。この「経験則」は時には「基本原則」との齟齬すら生じる。すなわちそれはいかに「基本原則」に乗っ取って精神分析を正しく行うかというよりも、いかに関係性を重視し、ラポールの継続を見据えつつ分析作業を行うかという、より患者の側に立った原則ということができる。先ほどのグリーンソンの技法論にはこの意味での「経験則」としてのそれが多く論じられている。